みなさんごきげんよう。

穏やかな笑顔でみんなを癒す

愛と感謝のなおちぃですコアラ

 





前回 ① の続きです。

 


 




今回とても長いです。

分けずに一気に書きました。

あしからず。(笑)






躁転したことで

意識レベルが爆上がりして、

女神のようになった私には(笑)

今まで全く見えなかったものが

急に見えるようになりました。





 

何が見えたのかというと…

 





私から見ている母は

もちろん『母』なんだけど、

もう1人見えたんです。

そしてそれは母から出てきた。

 





ちなみに霊的なものとかじゃなくて。





 

意識レベルが爆上がりしたことで、

今までとは全く別の視点で

世界が見えているというだけです。

 





母から出てきたのもう1人は誰かって、

それは幼い頃の母だったんです。

幼くて素直で可愛い

無邪気な女の子。

 





具体的に事例を書くと、

母の家に遊びに行ったとき

『ママ久しぶりー!』と言いながら

ノリでハグをしようとしてみた。

(躁転してなきゃ絶対できないやつ)

 





そしたら母は、

嬉しそうに素直に

しかも前のめりにハグをしてきました。

 





母はスキンシップも全くしない人なので

多分、

人生初ぐらいで母とハグしました。笑

 





その超素直で嬉しそうになってる時、

母は幼い可愛い女の子になってたんです。

 





『え!ハグしていいの?わーい!!』

ってなってる

無邪気な小さい女の子なんです。

 





あと2人でドライブにも行きました。

私が運転なんだけど、

隣で嬉しそうに座っていて

とにかく助手席で楽しそうなんです。

 





話すときも

『ねえねえ聞いてー!』

って小さい子が無邪気にやるやつ、

あるじゃん?

 





……って、

なんか説明が難しい笑い泣き



とにかく超素直な母に変身してしまい、

ずっとご機嫌で無邪気で

可愛い女の子なんです。

 





2回目の躁転のときは、

整体師の実技面接前だったので

練習台になってくれる?と言ったら

早急に私の家まで来てくれて、

(電車だと1時間ちょいかかる)

 





練習しようとしたのは最初の少しだけで

結局たださすったりの適当な

マッサージしてたんだけど(笑)

じゃあ何してたんだよって、

話をしてたんです。

 





マッサージしながら

話してたというか、

母に話しをさせていた。

色々な質問をして、

母の子供の頃の話を沢山聞いたんです。

 





そしたら色々話してくれて、

(この時は幼い少女じゃなく

穏やかな可愛い母でした)



私が知らなかった話も沢山出てきました。

 





母が昔の話とかする時って

いつもイライラの感情を乗せてたり、

投げやりでバカにする感じで話してたのに






すごく穏やかに色んなエピソードや

当時感じてた事を話してくれました。

 





それはそれはもう、

素敵すぎるほどに素直に。

 





この母の素直さって

本来の母の姿

明らかに

私の発してる高波動のエネルギー(笑)と、

私から愛情を与えるスタンスで行ってるから

引き出せていたことだと思う。

毛穴から勝手にダダ漏れしてる愛情のこと

言葉じゃなくて五感で感じとるやつ。


 




私は毒親の被害者なんです。

しかも第一子長女という、

多分1番強烈に

毒母の影響をモロに喰らってしまう

最悪なポジションで誕生して、

うちは父親もおかしかったから

本当に絶望的な人生を送ってきた。



毒親だと知ったあとから

両親を恨みまくる人生になり、

鬼のように自己否定しかできなくて

心身共に病気も沢山してきた

超かわいそうな被害者です。

 






だけど。





加害者になってしまった母にも

子供時代があって

かつては私と同じ被害者だった。

(父のことは今度)

 





そして母だって

決してそんな人生を望んだわけじゃないし

愛されたいのに、

愛される事が叶わなくて

悲しくて寂しくて孤独で怯えながらも

でも必死で生き抜いてきた

超かわいそうな被害者だったってこと。

 




とは言っても本当は愛情はあった。

歪みまくってただけで。

そして母本人も、母親を亡くした後に

愛情があったことに気付いたそうです。

 






母は小学校6年生の時

最愛の父を病気で亡くしていて。

ショックすぎて悲しすぎて

お葬式に出れなかったそう。

 





これだけでも相当に強烈すぎる、

大きなトラウマを

幼少期に抱えていた。

 





お葬式にも出れないくらいなんて…

お葬式が行われてる中、

別の場所に1人ぼっちでいたってことじゃん。

 





その時の心情は計り知れないけど、

どれだけ深すぎる傷を負ったのかは

容易に察せる。

しかもまだ6年生。

 





姉と兄がいる3人兄弟の末っ子で。

超あるあるだけど、

母のお母さん(祖母)は

息子をかなり贔屓して溺愛していた。

孫の私から見ても分かるぐらいに!





 

お父さんが生きてた時は

結構裕福な家庭だったそう。

お父さんが亡くなってしまって、

一気に貧困家庭になってしまい

一時は生活保護を受けていたそう…。

お母さんは働き詰め、

そして兄だけを溺愛。

 




父親を子供の時に亡くして

生活環境も激変してしまい、

母親はお兄ちゃん贔屓で

自分は一切母親から構われない。





母は一体

どれだけ深い悲しみや不安や

恐怖や孤独を背負って

生きてきたんだろう。。。

 





母も自分の子供を愛したかったし

子供にも愛されたかったはず。

(知らんけど多分)

自分の旦那さん(父)にも

愛情を注ぎたかったし

沢山愛されたかったはず。

 





でも全然うまくできなくて、

なんでなの?

こんなにも必死に頑張ってるのに

なんで何もかもうまくいかないの?って

もう本当にずっと1人でしんどかったと思う。

 





そして今も愛されたくて

でももう叶わないんだろうと諦めて

心の奥の奥の奥底で幼い少女が泣いてる。

鬼ほどデカい悲しみを抱えて。

 





そんな全てが、

全部見えた。

 





躁転してなければ、

この経験がなければ

私もずっと被害者意識のままだったから

ここまで深く理解できなかっただろうし、

お前に何があったかなんて知らねーわ!!

ってなってたと思う。

(実際なってたし恨み倒してた)

 

 




でももう、

嫌というほどに理解した。






うちは両親もその両親も

そのまた両親も、そのまた両親も

もうもう本当に全員が、

愛情に飢えすぎ悲しすぎ

誰か愛情クレクレ状態

だったということ。

 





誰も『与えること』を知らない状態。


だって無償の愛なんて

貰ったことがないから。

与え方が分からないから、

誰にも与えられない。

そもそも愛情を知らない。

 





自分が死ぬほど飢えてるのに

誰かに分け与えるとか

そんな余裕など一切ないわー!!

したら自分が死んでしまうわー!

って話。

 





でもなんか。

私は気付いた。

 

ってかその、

6年前だかに派手に躁転したキッカケが、

なんとこれに気付いたからだった。

 





肺の病気で私が入院した時、

まあものの見事に誰も寄り添ってくれず…

というか、どうしたら良いか分からず

『寄り添い方』も

知らなかっただけなんだろうが






まじで一瞬は命に関わるかもくらい

なんか訳のわからん状態だったのに、

それでも意味不明な言動ばっかりされ、

親身に寄り添ってもらうとか

夢のまた夢の夢すぎたため…







もう私も一生誰にも寄り添ってやらねーわ!!💢💢



って盛大にひねくれてしまった。

 






だけどなんかずっと何かが

モヤモヤしていて

そもそも病気前と病気後で

価値観はすでに結構変わってたんだけど



 



『私は病気で不安で恐怖の時にさえ

誰にも寄り添ってもらえなくて

死ぬほど悲しく絶望を味わったのに、


誰かが同じ状況になった時

その不安な気持ちを分かってながら

同じことするとか、

本当に私はそれでいいのか??』

 





って段々となってきて。

 





『いや、私は…

もし母や妹が病気とか

他にも誰か大切な人が

不安で怖くて仕方ないとき、

全力で寄り添える自分でありたい。


与えてくれなかったのに

なんで私は与えねーといけねーの?

与えてやらねーわ!!は違う。

私はそれはしたくない。

そんな私は私ではない。


私は相手が誰であろうとどうであろうと、

自分から与えられる人でありたい。』

 





という答えに

辿り着いた時、

ドッカーン!!と価値観が180度

一気にひっくり返ってしまい、

そのあとから

それはそれは派手に躁転していったんです。

(1回目ね)

 





私は

クレクレと人に求め続ける人生じゃなく、

自ら与えられる人として生きていきたい。






今までそれを

親もその親もそのまた親も、

多分まじで誰1人として

できる人がいなかった。

でも私はできる

って事に気付いた。

 





そして

じゃあその自分になるためには

どうしたらいいのかというと。

 





躁転していない状態で、

自分自身を愛で満ちに満ちに

満たしまくり

もう1人じゃ抱えきれなーい!

となり、

抱えきれず勝手に溢れ出てしまい

勝手に周りにドバドバ垂れ流す。



ということを

すればいいってこと。

 





今までの人生でずっとしてきた

自己犠牲して与えるのではない。

 





みっちみちに自分を愛で満たして

溢れさせて

愛と感謝を与えまくる人に私はなる。

なれる。

私はそれが出来る人。

(愛と感謝のなおちぃと繋がった…)




 


これが出来るようになる

=意識が突き抜ける

ということ。

 





そしてこれが出来たら、

もう全てが雪崩式に

勝手に解決していくということ。






見える世界もすでにかなり変わったけど、

更にまた1段階、変わるってこと。

 





躁転で経験してるから

身を持って分かってる、知ってる。

自分が満ちまくってたら

全て勝手にうまくいくってことを。

 





それが私が今、

全力でしていること。

というか、もうとっくの前から

せっせと楽しく取り組んでいた!

 





で、もうあとちょっとで

溢れ出そうな気がしてる、

あともう一歩……!のとこで

盛大な邪魔ばっかり入って

全然集中できねぇんだけど!!!

ってなっていた。

 





ここを…

この溢れ出す直前の

表面張力のぷくっとしたとこ(臨界点)

を超えるには、






一旦まじで全てを手放さないと

私はできなかった!!!

 







なぜならば

私は良くも悪くも、






超人に影響されやすく

超人に引っ張られてしまう

アホがつくほどの

素直だからです

笑い泣き笑い泣き笑い泣き








 


シャンパンタワーの

てっぺんのグラス(自分)を

自分で愛情で満たしまくって

満タンになり、


溢れ出た愛情が

下のグラス(他人)に

勝手に注がれていく。

 






母にも、ぴろ二郎くんにも、

妹にも

全ての他人に。

 







こんなに素敵なことってあるかいな。





母とは今は普通なんだけど、

自由にLINE連絡も解禁して

連絡ももうとっくにしたんだけど。

 





でも母から連絡してこないの。



だからなんかなぜか、

結局関係がうまく行ってないかも?

みたいな気がしてただけだった。笑

 





解禁のお知らせをした時に、

母は元気なスタンプと共に

『待ち構えてました!?』

って思うくらいに素早く、

ある写真を送ってきた。

 





今年の母の日に、

私が贈った鉢植えのカーネーションが

まだ咲き続けてるよ!

っていうことを知らせる

カーネーションの写真だった…。

 





それを見て私は、

『そんなに大事に育ててありがとう。

凄く嬉しい!』

ってLINEを送った。

 





『こちらこそ!!』という言葉と

いつもありがとうのスタンプが

母から返ってきた。

 






もう母だって若くない。

来年の2月には70歳になる。

いや全然まだ若いんだけど、

確実に私より先にいなくなる。

 





絶対に母が生きてるうちに

元気でピンピンしてるうちに

出来る限り早いうちに。


なるべく長い期間、

私は親孝行を沢山したい。

絶対できる自分になると決めている。


(母は旅行が好きだから

まずは旅行に連れていってあげたい)

 





だからもう、

ここ最近はひたすらずっと、


自己否定を徹底的にやめる。

不要な物、感情、人間関係

手放す。


他人の目、世間体、クソ価値観

変な思い込み、被害者意識

手放す。


やりたくないこと

優しい人を頑張る自分

自己犠牲すること

頑張るということ

苦痛に耐えること

などなど

全部いらねー!知らねー!ポーイ!

と、

これでもかぐらい手放しまくってる。





で、

気楽になる。

自分を愛する。

自分に優しくする。

自分をいたわる、ねぎらう

自分を褒める

自分にポジティブな言葉がけ

自分を許す、

クソな自分もどんな自分も受け入れる

自分を解放する、リラックスする

好きなことしかしない

やりたいと思うことしかしない

などなどを

もうとにかく毎日

全力で『今この瞬間』を楽しみながら

やっている。

 





毒親育ちで

絶望すぎた人生でも、

心身に病気を患いまくってても。




うつ病、躁うつ病とか

解離しちゃったりとか

一見絶望的っぽい病気を繰り返しても。




 



自分の意思一つあれば

自分の意識さえ変えていけば




つまり自分の命さえあれば

人生はいくらでも変えていける

まじで歳とか環境とか、

クソどーでも良かったわ





 


という事を!

私はこれからも人生かけて

体現し続け、証明していきたいと思います。

 (出来ると本気で思ってる)






超長くなったけど

最後まで読んでくださった方

本当にありがとうございます!

 


こんな連日に渡って

渾身のブログ(笑)を更新して

楽しすぎるのに、



でも躁転はまじで一切してない私。

天才かもしれん笑

(自画自賛)

 

 

 

 



 (★´∀`)ノ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。