長野歴史紀行~⑥松代編その3 | すずろ記

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2013年4月1日よりタイトル変更しました。

さ。

気を取り直して先へ進む。

日曜に整理して記録しとかいと、

平日は忙しくて、なかなかアップできないし。。。。




真田邸を堪能した私たちが次に目指したのは、


文武学校。

130609文武学校01

松代藩の藩校がそのまま残っている。

本当にリッパなもので、

佐久間像山の意見を取り入れ、8代藩主・真田幸貫が建設を着手。

そしてそれを9代藩主・幸教が完成させた。(1853年-嘉永6年)

その2年後、1855年-安政2年に開校。

 

教室2棟、剣術所、柔術所、弓術所、剣術所などなど。

8歳~14歳は文芸。

15歳~35歳は武道。

その名の通り、文武両道の総合学舎だ。


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教室の正面玄関


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教室


130609文武学校03

剣術所。

天井の梁がお見事!!!



この日もおじさん二人が使ってた。

驚くべきことに、

この重要文化財の建造物を、

拝観するだけでなく、今でも現役で使っている。

地元の子供たちの剣道の大会や催事にも使用されているとか



130609文武学校07
弓術所。

弓道の大会も行われていたし。



今も朽ちさせる事無く、大切に、

しかもちゃんと現役利用している。




よーっく見たら、

ここの屋根にもキッチリ、真田の六文銭紋が。

130609文武学校09 



ただね…

これだけの建物なのに、

見張り番が不在…

130609文武学校10 

孫の手がポツンと置いてある空イスを眺めて、

思わず笑ってしまった。


そ!

これが長野県民だ!!



大阪人には考えられない!

変なヤツがおったらどーするん!?

頭のキレたやつが火イでも付けたらどないするん!

スプレーで落書きでもされたらえらいことやで!


と、言ったら、福寿草さんが、


長野に悪い人はいないよ。


やて。


確かにそうかも。

のどかでのんびりしてるけど、

自分たちの郷土を愛する気持ちは熱い。

だから、ウンチクも熱くなる。



この空イスを見て、

なんだか、長野の人たちをちゃんと理解できたような気がする。







すぐ隣にある松代小学校。

門構えを町並み合わせている。

130609松代小学校




無念な最後を遂げた佐久間像山

彼は、今のこの松代を見たら、何と言うだろう。。



先生~!あなたの意思は受け継がれていますよ。

かえって今は、その発展に甘んじて、

軟弱な若者だらけですが…

それもこれも、

こんな平和な生活があるのも、

あなたをはじめ、命を投げうって、

大きな大きな扉を開けてくれたおかげです。


その後も大きな過ちを日本人はしましたが…


少なくとも私は今の平和に感謝します。










前回↓

<<<長野歴史紀行~⑤松代編その2

 

つづく↓

長野歴史紀行~⑦松代編その4