飯島虚心の葛飾北斎伝を手掛かりに、北斎の人生をたどりながら、北斎の生きた江戸時代後期の人々の生活を探ってみたい。

 

 

「北斎は 宝暦十年9月 本所割下水(わりげすい)に於きて生まれる。」 

 

宝暦十年は、西暦1760年、四代将軍 家綱(いえつな)の時代である。

 

本所、「明暦の大火(1657年)の復興事業として、隅田川の東岸を埋め立てたところ。

現在の墨田区の南半分にあたり、江戸の下町を構成していた。

 

北斎が生れた年は、明暦の大火から100年以上経っているので、それなりに古い感じの建物が多かったと思われる。

 

(東京23区、墨田区)

 

割下水(わりげすい)とは、埋め立て地の水はけのために、道路の真ん中を2間(3.6m)ほどの幅で造った排水路のことをいう。

 

割下水は生活排水を流すためのものではなかった。

 

(江戸時代の本所地図(切絵図)

 

本所深川町屋絵図(旧幕府引継書) 本所割下水の位置を記す。南側が今の北斎通りで、北側は春日通りにあたる(国立国会図書館蔵)

 

 

本所割下水は横十間川や大横川、堅川を経由して隅田川に流れていた。

 

今は道路になっているところも、江戸時代は水路だったから、水路を使って、人や物が運ばれていた。

 

北側の割下水は現在の「春日通り」、南側の割下水は現在の「北斎通り」となっている。

 

北斎は南割下水のあたりで生まれたらしい。

 

北斎通り商店会

 

https://www.sumida-showren.jp/street/10.html

 

割下水が、生活排水を流すためのものではなかったとして、生活排水はどこに流していたか?

 

江戸時代の人々の生活では、生活排水は現在よりもずっと少なかったが、ドブや溝に流して、その水は下水に流れて堀や川に流れていた。

 

トイレは現在のような水洗トイレではなく、汲み取り式であったので水は流さない。

 

現在、「1日に一人がトイレで使用する水の量は「14.5L」。」程度といわれている。

(トイレリフォーム大阪.com > トイレリフォーム和式から洋式 )

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現在、食器用洗剤で泡立てて、その泡を流すのに流水をジャブジャブ使っている。

洗濯にしても、江戸時代の何倍も水を使っている。

 

風呂も、江戸時代の庶民は銭湯に行っていたので、使う水の量は現在よりずっと少なかった。

 

なんやかんやで、現在は「一人が1日に使う水の量は250リットルにのぼる。」

https://www.pref.osaka.lg.jp/kankyohozen/sei-hai/sei-hai_why.html

 

川や海の水質汚染の原因の主たるものは生活排水なので、都市部では生活排水処理施設で汚水をある程度きれいにして流している。

 

現在は、大量の給水と大量の排水を行っている。

 

水だけでなく、エネルギーも大量の供給と消費を行っている。

 

江戸時代の人々が見れば、現在は大量生産と大量消費の全くの別世界である。

 

今、日本は急激なダウンサイジングの中にある。

政府がどんなに言っても、人口減少は止まらない。

アト27年後の2050年には総人口は9500万人になると予想されている。

65歳以上の高齢者は3764万人となり、総人口に占める割合は39.6%となる。

 

さらに、アト77年後の2100年には総人口は4771万人と予想されている。

 

最も厳しい予想では、日本が単一民族の道を77年間歩み続ければ、江戸末期の人口3330万人に近づくことさえ予想されている。

 

大量生産、大量消費の水やエネルギーはシステムの維持が困難になる。

教育機関も大部分が倒産する。

物の生産も同様である。海外生産や輸出拡大で多少衝撃は和らぐかもしれないが、同じ道を歩まざるを得ない。

 

現在の防衛力を維持するためには、アメリカから多額の援助を受けなければならないが、

アメリカが拒否すれば、身の丈に合った防衛力に縮小せざるを得ない。

 

日本は単一民族国家から多民族国家に77年間で変化できるだろうか?

 

人口減を補うために大規模移民の受け入れを検討する人もいるだろうが、そもそも多民族国家になるためには、長い年月をかけ、多民族国家のシステムを作らなければならない。

わずか77年間では、日本が多民族国家に変貌することは不可能である。

また、長い間単一民族国家だった日本人が、そう簡単に多民族国家に賛成するとは思えない。

 

政治家は早急に、77年後の人口3330万人に向けた具体的な政策(ロードマップに近いもの)を国民に提示しなければならない

当然、その政策のなかには、政治家の人数も70%減らすことが入っていなければならない。

 

悲しいことに、国民に希望を感じさせる政治家は皆無である。

これはとても危険なことである。

 

 

2025年に開催予定の大阪・関西万博の理念とテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」とあるが、77年後の日本の具体的な未来社会の生活が提示されるのだろうか?

それとも、2350億円の税金を投入してSFまがいの展示でお茶をにごすのだろうか?

 

日本人の知性が問われる万博となる。

 

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参考ホームページ

(機関誌『水の文化』18号、排水は廃水か、雨水排水路が汚水を流す下水道に 江戸から東京へ流れる排水の歴史)

https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no18/02.html

 

(機関誌『水の文化』57号、江戸が意気づくイースト・トーキョー|本所|掘割と文化

化政文化を生んだ武士と町人の交流、――本所割下水と葛飾北斎)

https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no57/08.html

 

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