「痛みが治まるのを待ちながら、アティカス・ピュントはいまやぐんぐんと目の前に迫りつつある自分の最後に思いを馳せた。

葬儀はしてもらうまい。これまでの人生であまりに多くの死を見てきたからこそ、いまさら死を葬式によって飾り立て、もったいをつけて騒ぎ立てる気にはなれなかった。死など ・・・そう、しょせん通過点に過ぎないのだから。それにピュントは神を信じていなかった。 同じように強制収容所を生き延びて、なおかつ揺るぎない信仰を持ち続けている人間も存在するし、そういう人々には尊敬の念を抱いてさえいる。だがピュントは自らの経験により、何も信じないという道を選んだ。人間は複雑な生き物であり、素晴らしく善なる行いも、恐ろしく邪悪な行いもやってのける―だが、 その行動はすべて自らの自由な意思で選びとったものだ。とはいえ、もしもこの信念が間違っていたと知らされる日が来るなら、 それはそれで恐ろしくはない。論理を重んじる一生を終えた後、たとえ神の審判の場に呼ばれることがあったとしても、神はきっと自分をお許しくださるだろう。ピュントの理解している限り、神は寛大なものなのだから。

 

*ピュント・・・「カササギ殺人事件」に登場する名探偵


 

寛大な神は、イスラエルとパレスチナの争いを見ていて、どう思うのだろうか。

こだわっているのは人間だけであって、双方の神には全くこだわりがないのではなかろうか。

神の寛大さを信じないで、神を理由に争うのは許せないのではなかろうか。

 

神のため、世界のため、国のためといっているが本当は権力者自身のためなのではなかろうか。

あるいは権力者の妄想ではなかろうか。

 

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