古事記は文字で書かれた神話で現存する最古のものです。
天皇の正統性を説明する目的で書かれたと言われています。
しかし、その神話は無から生じたものではなく、それまで様々な部族の中で信じられていた神話を基に、構成、改変、創作したものです。
古事記の上つ巻の序に次のように書かれています。
(古代日本まとめ)より
「そこで天皇は、
「私の聞くところによれば、諸家に伝わっている帝紀および本辞には、真実と違い、あるいは虚偽を加えたものが甚はなはだ多いとのことである。そうだとすると、ただ今この時に、その誤りを改めておかないと、今後幾年も経たないうちに、その正しい趣旨は失われてしまうに違いない。そもそも、帝紀と本辞は、国家組織の原理を示すものであり、天皇政治の基本となるものである。それ故、正しい帝紀を選んで記し、旧辞をよく検討して、偽りを削除し、正しいものを定めて、後世に伝えようと思う」
と仰せられました。」
帝紀・・・古代における皇位継承の次第(しだい)を中心とした記録。
本辞・・・神話や伝説や歌物語などを筆録したもの。
神話には正しいも、誤りもありません。
キリスト教の天地創造が正しくて、古事記が誤りということもありません。
ですから、諸家に伝わっている帝紀や本辞も神話には、間違いも正しいもないのです。
ただ、天地創造も古事記も、そのように書かれていたというだけです。
私は古事記の神話について考えながら、それ以前の神話について思いを巡らせています。
神話が始まるのは、古事記以前から始まっていると考えると、古事記を客観的に見ることにつながります。
宗教学者の島田裕己は次のように述べています。
「・・・ということは基本として、実は記紀に記載された神を、日本人は祀ってきていなかったということになる。
それはそうで、もしもそんなに記紀の神様が重要だったなら、八幡神が全国に広まっていく余地なかったはずなんです。」(別冊宝島2163号「神社と日本人」(宝島社2014年5月15日発行)より。
記紀:古事記、日本書紀。
「信仰別神社数ランキング(神社本庁「全国神社祭祀祭礼総合調査」による集計)」
1位は八幡信仰、2位が伊勢信仰、3位が天神信仰となっています。」(前掲、「神社と日本人」)51頁。
伊勢信仰は天照大御神を祭神としています。
古事記には、たくさんの神様が出てきて驚きます。
神様の長い名前には、何の神様か表現されていて、当時の人は名前を見れば、どんな神様なのか分かっていたと思います。
例えば、今、山裾東野命と勝手に作ってみましたが、意味が分かるように名付けることで、たくさんの名前を、ダブったりしないで作ることができたのではないかと思っています。
しかし、現代人にとっては、なじみのない名前で憶えることも難しく途方に暮れてしまいます。
「天照大御神」は、憶えることができますが、その子供の「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」になると手に負えません。
「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」の説明は(ラノベ古事記、日本の神様 一覧)に詳しいです。
古事記は天皇の正統性を証しだてるものといわれていますが、初代天皇である神武天皇はどんな神様の血筋、DNAを引き継いだのでしょうか?
古事記に出てくる神様を眺めれば、分かりやすくなるのではないかと思って、ネットを探してみました。
そして、見つけたのが「奈良県二上山ふもとの鎮守の杜」のブログです。
http://www.taimayamaguchi-jinja.org/index.php?%E7%A5%9E%E3%80%85%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C
そこに記載されていた系図は次のようなものです。
神様の極一部しか書かれてはいませんが、初代天皇の神武天皇までの系図は分かりやすいです。
上記の家系図を見ると、「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命」と結婚した相手の「万幡豊秋津師比売」は、単独に出現したように見えます。
このままでは、この神様の出自は全く分かりません。
「古事記、新編日本文学全集、1997年6月20日発行、小学館」の『神代・歴代天皇系図』においても、「万幡豊秋津師比売」の出自が分かる系図にはなっていません。
「別冊宝島2163号「神社と日本人」(宝島社2014年5月15日発行)の『日本神話にみる皇祖神の系譜』」では、「万幡豊秋津師比売」は名前さえ表示されていません。
それで、ネットで調べてみました。
(神話と神様と神社のこと、あなにやし、神様の家系図)
https://kojiki.138shinsekai.com/wp-content/uploads/2021/01/kakeizu-4-scaled.jpg
にありました。
それから、(ウィキペディアの神武天皇)にもありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87
古事記には次のように書かれています。
「天照大御神と高木神(たかぎのかみ)は、日嗣(ひつぎ)の御子の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)に言った。
「今、葦原中国(あしはらなかつくに)を平定したと報告があった。よって、先に委任したとおり、その国に天降あまくだって統治なさい」
ところが、その日嗣の御子の天忍穂耳が、
「私が天降ろうと支度をしている間に、子が生まれました。名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと)と申します。この子を降すのがよいでしょう」
と言った。
この御子は、天忍穂耳が、高木神の娘の萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)と結婚して生んだ子(太字:筆者)で、天火明(あめのほあかり)命とと、その次の日子番能邇邇芸(ひこほのににぎ)の二柱である。」
訓読文では「是の高木神は、高御産巣日神の別名ぞ。」となっています。
以上のことを反映させて家系図を整理しました。
上記の家系図を見ると、古事記は物語を寄せ集めたものではなく、最初から緻密に構成されたものだということが分かります。
家系図では、男性が女性を娶って、男子を産み、その男子が成人して女性を娶るという繰り返しが基本になっています。
この繰り返しの始まりは、イザナギとイザナミの出会いからです。
「そこで天つ神あまつかみの命令によって、鹿の肩骨を焼いて占いをして仰せられるには、
「女が先に言葉を発したので良くなかった。また帰り降って、改めて言い直しなさい」
と仰せられた。
それで二神は帰り降って、またその天御柱(あまのみはしら)を、前のようにお回りになった。
そして伊邪那岐が先に、
「ああ、なんと可愛い少女だろう」
と言い、後に女神の伊邪那、
「ああ、なんとすばらしい男でしょう」
と言った。」
女性が「いい男だと言って」、婿をとることは考えられていません。
天皇は男系であるべきと主張するひとも多くいます。
現在でも、天皇に男子が生れないと大騒ぎになります。
古事記は現在と決して無関係ではありません。
天皇は男系とこだわる始まりは古事記です。
「天皇の父方をたどると神武天皇に行きつく。」と言う人もいますが、そもそも神武天皇は実在していたと考えているのでしょうか。
神武天皇が実在するためには、古事記に書かれている神々が実在しなければなりません。
少なくとも上記家系図の神様は実在する必要があります。
これは、もはや信仰上の話です。
さて、天照大御神はイザナミのDNAを持っていません。
しかし、神武天皇はイザナミのDNAも高皇産霊神のDNAも持っています。
そして、山の神と海の神の力も引き継いでいます。
山の神の家系に海幸彦の約束された不運と山幸彦の幸運。
神武天皇の祖母にあたる豊玉毘売命の正体は大きな和邇(ワニ)です。
神武天皇の母親の玉依毘売命は豊玉毘売命の妹です。
玉依毘売命は神武天皇の父親の養育係だったので、ずいぶんと年上の奥さんでした。
姉の正体が大きな和邇(ワニ)なら、妹だって和邇(ワニ)だとおもうのですが・・・。
さて、話は突然、二ホンウナギの話に変わります。
(ニホンウナギ大回遊の謎の解明に向けて大きく前進〜太陽の軌道を一つの手がかりとしてニホンウナギが遊泳方向を決めている可能性〜、令和 4 年 3 月 2 日、国立研究開発法人水産研究・教育機構)
http://www.fra.affrc.go.jp/pressrelease/pr2021/20220302/20220302press.pdf
「今まで不明であった外洋でのニホンウナギ自身の遊泳速度に関する情報を得ること
に初めて成功しました。
・ ニホンウナギは日本近海で放流すると南に向かって遊泳し、産卵場のマリアナ海域内の南側で放流すると北に向かって遊泳することを発見しました。
・ ニホンウナギが太陽の軌道を一つの手がかりとして遊泳方向を決めている可能性があります。」
(うなぎの現状、SEFI)
「不思議なことに、うなぎは新月の夜に卵を産みます。1匹の雌うなぎからは約300万粒の卵が闇のように暗い海の中に放出され、同じタイミングで雄うなぎが精子を放出して受精します。これは、外敵から卵を守るだけではなく、月の満ち欠けによる潮の満ち引きと関連していると研究されています。」
二ホンウナギがもし信仰を持っているとしたら、それは太陽と月を祭神にしていると思います。
地球上の生きとし生けるものは、全て、太陽と月の影響を受けます。
先ほどの古事記の神様の家系図をもう一度見てください。
月読命は、名前がポツンとあるだけです。
万葉集では、太陽よりもはるかに多く取り上げられた月が古事記では全く触れられません。
どう見てもこれは異常です。
大陸から日本に渡って来た縄文以前の人々は太陽と月を頼りに旅していたと思います。
月も太陽と同じように神として信仰していたと思います。
今の人々の理解は次のようなものです。
「月の満ち欠けは月と地球、太陽の位置が変わることで起きます。私たちが住む太陽系は、中心にある太陽のまわりを地球などの「惑星」が公転1していて、その惑星のまわりを月などの「衛星2」がまわっています。月は地球のまわりを公転しながら、地球といっしょに太陽のまわりをまわっているのです。」
(キヤノンサイエンスラボ・キッズ、月はなぜ満ちかけするの?)
https://global.canon/ja/technology/kids/mystery/m_01_11.html
飛鳥時代の人は月の満ち欠けを神秘的に見ていなかったでしょうか。
暦だって太陰暦が使われていたのに、どうして月読命には古事記は冷淡なのでしょう。
それとも、実は、天照大御神は、夜に月読命になっていたのでしょうか。
天照月読命ってことはないですよね。
(万葉集)
ひさかたの天照る月は神代にか出で反るらむ年は経につつ(作者不詳)
(訳)月は神代の昔に出現し、出ては帰ることを繰り返しているのだろうか。年々歳々年はかわっていくのに。
https://manyoshu-japan.com/12498/
古事記の世界が偏って見えるのは月読命が好きな私だけでしょうか。
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古事記については、ここで終わりにします。
ここまでお付き合いいただき有難うございました。