柱と言えば、諏訪大社の御柱祭が有名です。

 

 

 

諏訪市には、縄文遺跡がたくさんあるそうですが、柱を建てた遺構は見つかっていないようです。

https://www.city.suwa.lg.jp/soshiki/28/2166.html

 

毎年のように、新たに柱を建てていたら、跡は残らないかもしれません。

 

なぜ、山から木を伐り出して、柱を建てなければならないのでしょう。

御柱は樹齢200年程の樅(もみ)の木だそうです。

もし、神社の御柱を建てる位置に木を植えておけば、300年もすれば御柱よりも立派な木になります。

なぜ、そのモミの木にしめ縄を巻いては、いけないのでしょうか。

人間が植えたモミの木では、神の木にはならないのでしょうか。

 

柱を建てて、その周りを回る祭りはヨーロッパにもあります。

メイポールです。

メイポールについて、コトバンクで次のように説明しています。

(五月祭の説明から)

「・・・人々はこの日、上昇のエネルギーを招き、人間、家畜、作物の無病息災と豊饒(ほうじょう)を願った。したがってこの日はフランスをはじめとして、愛にかかわる習俗も多い。五月祭は五月柱(Maypole)でも知られる。前夜に立てたモミ、トウヒ、シラカバなどの聖木の周りを、人々は踊り、そこからしばしば新しい愛が生まれた。最近は五月柱を立てるだけであまり踊らない。オーストリアの村では早朝から楽隊が出て祝儀をもらう。五月柱は競売される。」

https://kotobank.jp/word/%E4%BA%94%E6%9C%88%E7%A5%AD-498696

 

昔のメイポールの様子をピーテル・ブリューゲル (子)が絵に描いています。

 

(Dance around the Maypole, by Pieter Brueghel the Younger, 16th century)

男も女も、酔っ払って男は女の体に手を回し誘っている姿があちこちにあります。

剣を抜いて、喧嘩している姿もあります。

https://en.wikipedia.org/wiki/Maypole#/media/File:St._George's_Kermis_with_the_Dance_around_the_Maypole_by_Pieter_Brueghel_the_Younger.jpg

 

Youtubeの五月祭はフォークダンスみたいに見えます。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=M1nPX5wLmZI

 

柱という漢字は、木と主から構成されます。

「主は燭台の形で、鐙(あぶらざら)の中で燃えている炎を加えている形である。燭台は直立したものであり、木の直立するものを柱といい(太字:筆者)、「はしら」の意味となり、ものの中心となるものの意味にも用いる。」

(白川静、常用字解)より。

 

直立して初めて柱となるのです。

横たわっている材木は柱とは言わないのです。

 

柱を直立に立てるにはどうしたらよいでしょうか。

(caDIY3Dオフィシャルサイト、【庭造りDIY】独立基礎をマスターして柱を立てる)より

「柱をどの程度地面に埋めるのか?

柱を立てる場合、倒れないようにするためには、ある程度地面に柱を埋めないといけません。

目安としては地上1に対して地中部分は1/3程度必要とのこと(太字:筆者)。つまり、1mの柱を立てる場合は、30cm程度は地中に埋める必要があります。 では、2mの柱を立てる場合は倍の60cm必要?ということになります。理想はそうなんですが、現実的には40~45cm程度かなと思います。」

https://cadiy3d.com/wp/archives/6411/

 

少し、長くなりますが、古事記のイザナギとイザナミの国生みの話を紹介します。

(古事記現代語訳)

「天つ神諸々のご命令で、

伊耶那岐命・伊耶那美命の二柱の神に、「この漂っている国を整え固めて完成させなさい」と仰って、

天の玉矛をお与えになってご委任なさった。

それで、二柱の神は、天の浮橋にお立ちになって、

その玉矛を指し下ろしてかき回しなさって、

海水をコオロコオロとかき鳴らして引き上げなさった時に、

その矛の先から滴り落ちた海水が重なり積もって島となった。

これがオノゴロ島である。

伊耶那岐・伊耶那美の二神はその嶋に天降りなさって、天の御柱(太字:筆者)を見顕し、八尋殿を見顕す。

そこで、その妹の伊耶那美命に質問して言うことには、「おまえの身体はどのように成っているのか」という。

伊耶那美命が答え申し上げることには、「私の身は出来上がり出来上がりしてなお出来上がっていないところが一箇所あります」と申し上げる。

すると伊耶那岐命が仰ることには、「私の身体は出来上がり出来上がりして出来上がり過ぎたところが一箇所ある。

そこで、私の身体の出来上がり過ぎたところで、おまえの身体の出来上がっていないところを刺し塞いで、国土を生んで生成しようと思う。生むことはいかがであろうか(太字:筆者)。」と仰る。

伊耶那美命が答えて言うことには、「それが良いでしょう」と言う。

そこで、伊耶那岐命が仰ることには、「それならば私とおまえとでこの天の御柱を別々に廻って逢って、聖所での婚姻を成そう(太字:筆者)」と仰る。

このように約束をして、それで「おまえは右から廻って私に出逢いなさい。私は左から廻っておまえに出逢おう」と仰って、約束をし終えて廻った時に、

伊耶那美命が先ず「まあ、なんと素敵な男性なんでしょう」と唱え、その後に伊耶那岐命が、「ああ、なんて美しい女性なんだろう」と唱える。

それぞれに唱え終わった後に、伊耶那岐命はその妹に告げて、「女人が先に唱えたのは良くなかった」という。

そうではあるが、男女の籠もり場で生んだ子は、ヒルコである。

この子は葦船に入れて、流しやってしまった。

続いて淡島を生む。

これもまた、子として数えることはなかった。

そこで、伊耶那岐・伊耶那美の二柱の神が相談をして言うことには、「今私が生んだ子は良い子ではなかった。

やはり天つ神の御所に参上して申し上げよう」と言って、一緒に天に参上して、天つ神のお言葉を請うた。

そこで、天つ神のお言葉で、フトマニに占いをして仰ることには、

「女人が最初に唱えたのが原因で良くない結果となった。再び還り降って改めて唱えなさい」と仰る。

そうして降って、再びその天の御柱を各々行って廻る様は、先の通りである。」

(國學院大學、「古典文化学」事業、古事記ビューアー)

http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kojiki/%e4%ba%8c%e7%a5%9e%e3%81%ae%e7%b5%90%e5%a9%9a/

 

大地に穴を掘り、そこに大木を差して柱を直立させるという行為は、「私の身体の出来上がり過ぎたところで、おまえの身体の出来上がっていないところを刺し塞いで、」という言葉と同じではないでしょうか。

としたら、大地の穴に、柱を立てる儀式は、大地の豊穣を願う儀式以外のなにものでもないように思われます。

そして、柱を回ってからセックスするイザナギとイザナミの行為は、神話に仮託して、実際にあった当時の男女の結婚の儀式を書いているのかもしれません。

柱を立てる行為は、男女の営みの象徴とも言えると思います。

そして、生む行為の象徴とも言えると思います。

 

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