(村祭り)
村の鎮守の神様の
今日はめでたい御祭日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓
年も豊年満作で
村は総出の大祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
夜までにぎわう宮の森
治まる御代に神様の
めぐみ仰ぐや村祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
聞いても心が勇み立つ
「『村祭(むらまつり)』は、1912年(明治45年)刊行の小学校向け音楽教科書「尋常小学唱歌」に掲載された日本の民謡・唱歌。」
https://www.worldfolksong.com/songbook/japan/muramaturi.htm
こんな風景は、今の日本のどこにもないでしょう。
そりゃあ、そうですよね。
農業、林業、漁業などの第一次産業に従事する人の割合は1920年は53.8%でしたが、2015年になるとその割合は3.8%です。https://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2022.asp?fname=T08-07.htm
『村祭(むらまつり)』が、音楽教科書に掲載された1912年は、第一次産業に従事する人の割合は60%近かったかもしれません。
わずか100年もたたないのに、この激減はどうしたことでしょう。
最近、豊年満作を祈願する伝統行事が動物虐待だと批判されて、変更を余儀なくされているというニュースを聞きました。
第一次産業に従事する人の割合が4%未満であれば、伝統行事も形骸化していますので、昔のほとんどの人が抱いていた切実な思いは理解できないと思います。
古事記が書かれた時代は、第一次産業に従事する人の割合は、おそらく80%~90%くらいだったのではないでしょうか。
その中で、農業人口が占める割合はほとんどだったと思います。
しかし、日本において農耕が始まる前は、漁業や狩猟、果実や根菜などの採集にほとんどの人が従事していたのです。
(人類の歴史は600万年の進化史でみれば殆ど狩猟採集時代)
「600万年全部そうした生活(筆者:狩猟採集)を続けた後、最後の1万年で農耕と牧畜が始まりました。(太字:筆者)ですから、人類というところから見ると、農耕、牧畜は人類の歴史上600分の1でしかないわけです。今度はこの1万年を拡大し1万年前から現在を見ると、1万年前に農耕と牧畜が世界のいろいろなところで始まったというだけの話で、それでもまだほとんどの人が狩猟採集を続けていたわけです。それで、5000年ぐらい前に古代エジプト文明やメソポタミア文明などが始まりました。」
https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1214
数狩猟採集生活の時代は農耕生活の時代の600倍もあったのですから、膨大な数の神話があったに違いありません。
(狩猟採集生活、Microsoft - Bing Image Creatorで赤とんぼが作成?しました。)
(足の指が6本だったり・・・・)
古事記は日本で現存する最古の歴史書です。
(国立公文書館、歴史と物語、古事記)
「神代の創世神話から推古天皇(在位592―628)の時代までの歴史を記した書で、わが国現存最古の史書。『古事記』の編纂は、諸氏族に伝来する「帝記」(皇室の系譜や伝承)や「旧辞」(神話や説話、歌謡等)に誤りが多いことを憂慮した天武天皇(太字:筆者)(同673―686)が稗田阿礼(ひえだのあれ)に正しい記録を誦習させたのに始まります。天武天皇の死で事業は中断しましたが、その後、元明天皇(同707―715)の命で、稗田阿礼が誦習した内容を、太安万侶(おおのやすまろ)が筆録。和銅5年(712)にこれを進呈しました。」
https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/rekishitomonogatari/contents/01.html
歴史書は勝者が書いたものといわれます。
その観点から古事記を読み解いてみます。
古事記は、どうみても農耕民族の神話です。
(和魂美才)より
「スサノオを狩猟民の神として、アマテラスを農耕民の神としてみると、現世の対立(太字:筆者)がそのまま天上界の物語に反映した感があります。」
https://www.yamato556.jp/nihonron/shinwa_noukou_syuryou/
「スサノオとアマテラスの対立は、現世で狩猟民と農耕民が対立していたからではありません。」
時に、狩猟民と農耕民が対立したこともあったとは思いますが、生産形態として、狩猟から農耕へ移行したことを、スサノオとアマテラスで表現しているのです。
今も、神棚にはお米や、お酒を供えます。
仏壇にも炊いたお米を供えます。
正月には、神棚と仏壇に鏡餅を供えます。
仏教も農耕時代になってからの宗教でした。
そういえば、キリスト教も、イスラム教もみんな農耕時代になってからの宗教です。
農耕が始まる前の時代は狩猟採取の時代です。
勝者は農耕民族で、敗者は狩猟採取民族です。
古事記の序文で(神話や説話、歌謡等)に誤りが多いと言ったのは、その神話の大部分が狩猟採取時代のものだからだと思います。
古事記では、三貴神として生まれた天照大御神、月読命、須佐之男命のうち、勝者は農耕民族の信仰の対象である天照大御神だけです。
月読命は名前だけ紹介されただけですし、須佐之男命は狩猟採取民族の象徴として高天原から追放されます。(月読命や須佐之男については別の機会で書きたいと思います。)
農耕民族は天照大御神を信仰していながらも、狩猟採取時代の神を並行して信仰していました。
ですから、古事記では諸氏族で信仰されていた神々は名前だけ登場させたのです。
古事記は、上記のような大きな構図の中に諸氏族に伝来する神話や説話、歌謡等を配置しています。
さらに、古くから伝来したものだけでなく、新しく渡来人が語った説話なども改変しつつ取り込んでいると思います。
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我々が、古事記の神話に共感することが少ないのは、今の日本は農業によって国が支えられていないからです。
狩猟採取から農耕が主役になると、生活が激変しました。
農耕では春に種を蒔き、秋に刈り取ります。
狩猟採取では漁業であれ、狩猟であれ、食糧の調達はその都度です。
時には、大漁であっても、長く保存できません。
農耕で刈り取られた穀物は長期に保存できます。
ですから、日々の食料の調達は安定したものになります。
しかしメリットばかりではありません。
デメリットもあります。
農耕では、保存穀物によって、次の刈り取りまでの長い期間、食いつなぐことができますが、もし、種を蒔いて、刈り取るまでの間に、自然災害があって凶作になれば、一気に食料不足になります。
穀物の輸入ができない当時の人々にとって、天候が順調であることは、生命に直結することだったのです。
例えば、江戸時代の天明の大飢饉。
(国立公文書館、天下大変、飢饉)
「天明年間(1781―89)の大凶作も全国各地に深刻な飢饉をもたらしました。なかでも東北地方の状況は悲惨そのもので、天候不順に領主側の判断ミスも重なり、多くの餓死者が出ました(津軽藩だけで死者10数万人に達したとか)。天明3年の浅間山の大噴火も、大気中に大量の微粒子を噴上げたことで冷害の原因の一つとなり、飢饉に拍車をかけたと言われています。食糧を求めて領外へ逃亡する人。力尽きて餓死する人。そして飢餓の余り牛馬犬猫はもとより人間の死肉を喰らう人の姿も。言語に絶する情景が各地で目撃されました。」
https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/tenkataihen/famine/index.html
ですから、農耕時代は村のみんなで、神に豊作を祈願するのです。
種を蒔く適切な時期を教えてくれるのは太陽です。
また、太陽の光や熱で植物は育ちます。
農耕の神が太陽神となるのは、必然なのです。
今日、気候変動が叫ばれてから、久しいですが、大飢饉が起きれば、現在の人口規模からすれば何千万人という餓死者が出てもおかしくありません。
大凶作というニュースが流れないことを願うばかりです。
すでに、日本も世界も、狩猟採集で賄える人口をはるかに、はるかに超えているのです。
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