(『千の風になって』新井 満 作詞)

私のお墓の前で

泣かないでください

そこに私はいません

眠ってなんかいません

 

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹きわたっています

・・・・・・・・・・

魂が「千の風」になっているのなら、どうしてお盆、お彼岸に墓参りをするのでしょうね。

故人の存在が感じられる遺骨があるからでしょうか。

仏壇の近くに遺影を飾るのは、故人を思いだして、冥福を祈るためでしょうか。

 

釈迦が仏教を説いた時、その教え(お経)は、当時の話し言葉で話したと思います。

日本人の聞くお経は、インドから中国へわたり、漢文で書き写され、538年に漢文で日本に入ってきたものです。

飛鳥時代 (592年 – 710年)よりも前ですね。

当時の日本は中国との行き来がありましたし、中国は文化的に進んでいましたので、その文化の導入に積極的だったと思います。

そのため、中国語を読んだり、話したりする人も上流階級には結構いたと思います。

その人達は、漢文のお経をそのまま理解していたと思います。

仏教が伝来した当時は、日本には文字がありませんでした。

また、そのお経を日本語にして、民衆にお経を広めようとしませんでした。

 

それ以後も、日本語化しませんでしたので、私たちが葬儀などで聞くお経は、漢文をそのまま字音で読んでいるのを聞いているのです。

 

学校で習う漢文は、日本人に分かりやすい訓読や書き下し文を習います。

お経は、日本語ではないのですから、それを聞いて理解するなどということは、とうてい不可能です。

 

例えば、南無阿弥陀仏の南無はインドの「ナマステー」と同じ語源からきているそうです。

もし、お坊さんが「ナマステー、ア、ミダ、ブツ」と、お経を唱えたらビックリすると思います。

しかし、ナムから(南無)の漢字をイメージするよりは、釈迦が説いた教えに近くなると思います。

((参考):読むお坊さんのお話、無限の光、浅野 執持、広島仏教学院講師)

「浄土真宗のご門徒でなくとも南無阿弥陀仏を知らない人はいないでしょう。でも、それがどんな意味かと問われると答えるのは難しいものです。

 もともと、ナモアミダブツはインドから中国を経て日本に伝わった言葉です。

 インドでは、「ナマステー」と挨拶します。この「ナマス」と「ナモ」とは同じ語源で、そこには「尊敬する」「尊ぶ」という意味があります。「テー」は「あなた」、ナマステーは、「私はあなたを尊びます」という意味です。

 同じようにナモアミダブツは、「私はアミダという仏さまを尊びます(アミダ仏に帰依します)」という意味なのです。

 さて、アミダとは仏さまの名ですが、名はそのまま、仏さまのはたらき、力の大きさをあらわします。

 アミダという言葉は、「ア・ミダ」と分けることができます。アは否定の言葉「~でない」という意味、英語のアンやノンにあたります。

 ミダの語源は「ミター」、これが西洋ではメーターとなったようです。電気やスピードのメーター、長さの単位のメーター。「メーター」は「はかり」です。ア・ミダとは「はかることができない」という意味で、中国では「無量」と漢字があてられました。」

https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/story/000654.html

 

仏教のお経は、今のままがいいのか分かりません。

 

和訳したお経もありだと思います。

小学校から英語を習う時代です。

英語のお経を方がわかりやすくていいという人も出てくるかもしれません。

 

https://www.youtube.com/watch?v=pEjxGyyFWyM

 

 

 

 

また、逆に分からない方が、有難みがあるという人もいると思います。

 

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