13.「裸の王様の子供の目」から見た現日本国憲法の平和主義(7)からの続きです。

 

 

 以下の三浦瑠麗の記述は再掲です。

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 三浦瑠麗は「21世紀の戦争と平和、徴兵制はなぜ再び必要とされているのか」の(あとがき)で次のように書いています。

 「『戦争は権力者が始めるものだ。市井の人びとは平和を望んでいる。軍という存在自体が戦争を待ち構える、暴走しかねない装置だ』 - とこう書けば、きっと大きな賛同が寄せられたはずだ。

 実際に私は、権力者を監視し、軍を統制することは民主国家にとって不可欠だと考えている。

 けれども、実態としての民主的社会は必ずしも平和志向ではなく、そこにおける軍が好戦的でもないことを知ってしまった以上は、そうは書けなかったということだ。ブッシュ、オハマ両政権下でイラク戦争とアフガニスタン戦争を担当したゲーツ国防長官は「アメリカで一番大きなハトは軍服を着ている」と言った。」(2019年1月25日発行、21世紀の戦争と平和、徴兵制はなぜ再び必要とされているのか、三浦瑠麗、新潮社、257頁)」

 

 この当たり前のように思われることを、深堀してみます。

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子供:

 「過半数の国民が戦争に反対なら権力者は戦争しないでしょう。」

 

AT:

 「そうとばかりは言えません。民主主義の選挙で選ばれた代表は、すべての国民が一致して選んだ代表ではありません。

 例えば、今の日本の選挙制度では自分に投票してくれた有権者の代表です。その代表に投票した有権者は自分達の代表という意識があります。代表に投票した有権者は必ずしも国民の過半数とは限りません。

 しかし、そうであっても、日本の国民は、選挙区で一番多い得票をした人を国民全体の代表とする制度を認めているのです。

 小選挙区制での得票率がAは35%、Bは25%、Cは25%、Dは15%だとするとAが当選します。

 AはAに投票した有権者だけの希望を考え、残りの65%の国民の希望はほとんど無視しているようにみえます。

 今の小選挙区制では、次回の選挙でも選ばれるためには、自分に投票した35%の有権者の要望に応える必要があります。

 なにしろ、得票率が35%で当選できるのですから。

 

 今の日本は(政党選挙民主主義)です。

 政党に公認されなければ当選の可能性はずっと下がります。

 是々非々と言っても個人ではなく党が決める是々非々です。

 この(政党選挙民主主義)は、国政選挙のみならず、地方選挙においても中央の政党の公認が必要になります。国政選挙ほどではありませんが政党の支配が県知事、市長の選挙、県会議員、市会議員まで及んでいます。

 選挙区が村や町のように小さい場合は、独力で自分の顔や名前を憶えてもらうことが可能です。

 しかし、選挙区が県のように広い場合は違います。後援会を組織して、自分のことを憶えてもらう活動が必要です。一から自分の後援会を組織するのは金も時間もかかります。

 既存の政党の後援会に乗る方が断然有利に選挙活動できます。

 国政選挙の候補者は政党におんぶにだっこです。ですから、国会で審議する前に党の決定に党議拘束されてしまいます。

 

 問題だと思うのは、市長選挙でも与党とパイプがあることを強調することです。これは、与党と同じ党であれば利益誘導できると言っているのです。これでは与党以外の候補者は不利になります。

 逆に、市長や県知事が国政選挙で与党の候補者を応援して、その候補者が当選しないと与党とのパイプがなくなると言うのは、有権者に与党の候補者に投票しないと、限られた国の予算の分捕り合戦に他の自治体に比べて不利になると言っているのと同じです。

 国民の税金の使用方法をテコに与党は、自分に有利に選挙活動できるということになります。

 

 無所属の議員が3割くらいになると、国会の審議もだいぶ変わると思いますが、政党の力を借りずに国政選挙に当選することが難しい以上、無所属議員が3割になることはありません。

 支持政党無しというひとは与党の支持率を超えて4割近くいるのですが、支持政党無しというひとはあるときは与党にある時は野党に投票しますので、無所属議員が3割になることはありません。

 

 また、税金から政党交付金が政党に支給されている現状をみると、国会の改革は難しいという気がします。寄付は個人献金に限るとすれば、少し変わる気がします。企業献金でなく、社長が沢山給料をもらって社長が政治献金すればいいのです。

企業で働く職員が野党支持で、一生懸命働いて企業利益に多大な貢献をしたとしても、その企業が与党に政治献金するとしたら、変な感じがします。

 政治の基本は個人の意志だと思います。」

 

子供:

 「民主主義は皆同じではないですか?

 何種類かの民主主義があるのですか?」

 

AT:

 「理想とする民主主義は多分一つでしょう。

 日本の政治家は、日本的民主主義と言うかもしれません。でも、私は、日本的民主主義は未完の民主主義であり、自慢できるようなものではないように思います。日本的民主主義は疑似民主主義に含まれるものです。

 現実の民主主義には色々な民主主義があります。日本の民主主義とアメリカの民主主義は違っています。

 現実の各国の民主主義は未完成の度合いや、未完の部分の違いに応じて国ごとに異なる民主主義の種類があるといえます。」

 

子供:

 「理想とする民主主義とは、日本の民主主義に欠けているものは何ですか?」

 

AT:

 「アメリカ国務省は民主主義の原則 – 多数決の原理と少数派の権利」について次のように書いています。

 『一見すると、多数決の原理と、個人および少数派の権利の擁護とは、矛盾するように思えるかもしれない。しかし実際には、この二つの原則は、われわれの言う民主主義政府の基盤そのものを支える一対の柱なのである。

 ・・・中略・・・

 少数派集団の意見や価値観の相違をどのように解決するかという課題に、ひとつの決まった答などあり得ない。自由な社会は、寛容、討論、譲歩という民主的過程を通じてのみ、多数決の原理と少数派の権利という一対の柱に基づく合意に達することができる。そういう確信があるのみである。』(AMERICAN、CENTER、JAPAN、国務省出版物、民主主義の原則 – 多数決の原理と少数派の権利)

 https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3080/

 (参考)

 「AMERICAN、CENTER、JAPAN、国務省出版物、民主主義の原則 – 概要:民主主義とは何か」

 https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3077/

 

 民主主義では少数意見の尊重が大切なのです。少数意見の人達と討論することによって、自分の考えを相対化してさらに深化させることができるからです。深化した考えはAに投票した有権者以上の賛同を得ることができると思います。

 国会議員はよく「私たちは国民によって選ばれた」といいますが、国会議員が自分に投票しなかった国民に思いをはせ、少数者との討論を通じて自らの考えを深化させ、少数者を納得させる行動をとるのでなければ、国民の代表とは言えません。

 少数意見の尊重は自分の意見を相対化する絶好のチャンスです。

 しかし、現実の国会を見ると、とてもそうは思えません。

 国会の審議を見ていると、大臣は官僚が作成した答弁書を読み上げていることがあります。

 このシステムで、法案(考え)が深化するとは思えません。

 稚拙であっても自分の言葉で答弁すべきだし、野党は揚げ足取りはやめるべきです。

 選挙の政党公約を実現することにだけこだわれば、少数意見は無視されてしまいます。

 日本の民主主義は(政党選挙民主主義)とでもいうべきものだと思います。

 

 形だけが残っている形骸化した民主主義です。

 形骸化した民主主義になると、じっくりと審議せず効率を優先しますので、戦争のリスクが高まります。

 (参考)

 小選挙区制にあっては4つ以上の複数の政党が候補者を立てた場合、30%の得票率でも当選する可能性があります。政権政党の公約が戦争に積極的だとすれば、その政党の得票率が30%だったとしても戦争を始める可能性があります。

 ちなみに、「2017年の日本の衆議院議員総選挙の比例区の自民党の得票率は33.28%であり、小選挙区の自民党の得票率は47.82%で当選議席数の割合は75.4%でした。」(参考:ウィキペディア、「第48回衆議院議員総選挙」より)

 私は自民党が戦争に積極的だと言っているわけではありません。小選挙区制では得票率が過半数でなくても当選できると言いたいだけです。

 

 アメリカの現大統領トランプの国民の得票数は、クリントンの得票数よりも少なかった。

 (2016年アメリカ合衆国大統領選挙、ウィキペディア(Wikipedia)

https://ja.wikipedia.org/wiki/2016%E5%B9%B4%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E9%81%B8%E6%8C%99

 

大統領選出でさえ有権者の過半数の得票を得ない場合があるということです。」

 

子供:

 「民主主義の国家で国民の過半数が戦争反対でも、選挙で選ばれた権力者は戦争を始める可能性があるわけですか?」

 

AT:

 「国家権力者は国の体制を維持するための組織である警察と軍隊を支配しています。

 独裁国家の事を考えれば、分かると思いますが、独裁者は国民から選挙で選ばれていません。独裁者は国民の過半数が戦争反対でも戦争できます。自分に反抗する芽を武力で摘み取ってしまいます。また、戦争に向かうように情報を管理します。そのやり方は先の大戦の日本やドイツが反対意見を強制的に抑え込んだ例をみればわかります。

 民主主義国家においても過半数の支持を得ていない権力者も同じように国民を戦争に導くことはできます。」

 

子供:

 「今はインターネットが発展しているから、国が情報を管理することは難しいことではないですか。」

 

AT:

 「そうでしょうか。現代の近隣の一党独裁の国の例を見ても分かると思います。ネットの情報で権力者に不利な情報はすぐに削除され、国家がその気になれば、その情報を発信した人間も特定されます。

民主主義国家であっても、国民の過半数の支持がなくても国家権力者になることができます。政権をとった権力者は立法府の過半数を支配してしまえば、意にそわない反対者を抑え込むことができます。

 三浦瑠麗が『実態としての民主的社会は必ずしも平和志向ではなく』と書いていますが、『実態としての民主的社会』とは、『疑似民主主義』だと思います。

 (政党選挙民主主義)であれば、少数意見の尊重による審議を通じて公約(考え)の深化を図ることもありません。

 

 (考え)を絶対化してしまうと、戦争のリスクは高まります。

 私は、民主主義が理想に近づけば、戦争のリスクを引き下げ、平和志向となると思います。」

 

子供:

 「民主主義国家であっても、戦争での自分の死や、身近な人の死を想像できない人は好戦的になってもおかしくないですね。

 もし、ロボット兵器が戦場に投入する国の国民にとっては、ますます自分の死は遠くなりますよね。」

 (軍用ロボットとして開発される四足歩行ロボットのビッグドッグ)

 

AT:

 「三浦瑠麗が『実態としての民主的社会は必ずしも平和志向ではなく、そこにおける軍が好戦的でもない』と述べていますが、私もそのように思います。

 民主主義の国は、軍に対しては文民統制(シビリアンコントロール)のもと、軍の最高司令官は文民がなります。

 軍人以外の国民は、戦争で死ぬリスクは軍人よりも少ないと思いがちです。少なくとも緒戦は軍と軍が戦争するイメージを持ちがちです。そうなると国民は好戦的になってもおかしくありません。

 一方、軍人は戦う専門家(プロ集団)として、犠牲者はどのくらいになるか、勝利の可能性はどうか冷静に考えます。

 民主的社会においては、感情的に判断しがちな国民と冷静な軍という状況が生まれる可能性が高いと思います。

 好戦的な国民と好戦的でない軍が生ずるということです。

 でも、私は軍が好戦的で国民が好戦的でないよりは好ましい状況のように思います。

 好戦的な軍が戦争を開始して国民が軍に引きずられて戦争に巻き込まれることは絶対に避けなければなりません。

 軍が好戦的になるということは、軍が戦う専門家(プロ集団)ではなく政治的な考えを持って行動するということです。

 先の大戦の満州事変の日本軍(関東軍)の行動は軍が政治的な意図を持っていました。

 ウィキペディア(満州事変)では次のような説明があります。

 『関東軍参謀は、統帥権干犯にならないように軍法の穴をかいくぐり上層部の命令を聞きながらも軍事衝突があると自衛と称して戦線を拡大した軍司令官本庄繁を説得しながら、政府の不拡大方針や、陸軍中央の局地解決方針を無視して、自衛のためと称して戦線を拡大する。独断越境した朝鮮軍の増援を得て、管轄外の北部満洲に進出し、翌1932年(昭和7年)2月のハルビン占領によって、関東軍は中国東北部を制圧した。』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89

 

 三浦瑠麗が『軍という存在自体が戦争を待ち構える、暴走しかねない装置だ』と国民が軍に抱くイメージを述べていますが、関東軍のことを考えると、当たっている部分もあるかとも思います。」

 

子供:

 「日本国憲法前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』という方法では、戦争のリスクを減らせないの?

 

 軍隊では、国を守れても、平和は守れませんよね。国防は国を守るためでしょ。

 でも、国を守るために何百万人も死んだら、平和を守ったとは言えませんよね。

 日本国憲法前文の平和主義は平和を維持しながら国を守るということでしょ。

 日本国憲法前文の平和主義を批判する論者は、そんなことはできない、幻想だと言っているのと同じですよね。」

 

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続きます。