3.  景色を目と心で協同して見ている

タブレットのカメラを起動し、タブレットを上下左右に振って見る。

映像を再生すると、ぐるぐると回っている。タブレットが外の世界を見る

ただ一つのものなら、景色が回っているように見えるだろう。

今度は、自分の頭を上下左右に振って見る。私の目に映る映像は、タブレットの映像と同じものだろう。しかし、私は景色がぐるぐる回っているとは見ていない。ぐるぐると動いているのは、私の頭であるとわかっているからだ。

車窓の外の景色が後ろに動いて行く時も、動いているのは景色ではなく、自分の方だとわかっている。

目に映る映像は、心の中で他の情報と合わせて処理され、調整されて見える。

見ているのはそのような景色なのだ。

目に映る映像がなければ、景色が見えることはない。しかし、心がなければ、今見ているような景色は見えない。

 

4. 音を耳と心で協同して聞いている

耳で受け取る話し声は「おとおみみとこころできょうどうしてきいている」と連続した音である。しかし、聞いている音は単なる連続音ではなく、「おとを、 みみと、こころで、きょうどうして、きいている」と日本語の言葉として聞いている。

耳で受け取った赤ん坊の泣き声を母親は自分の子供かそうでないかを聞き分けて、自分の子供の場合は、自分の赤ん坊の泣き声として聞く。

色々な音が同時に耳に入ってくるが、言葉を区別して聞くし、自分の赤ん坊の泣き声は際立って聞こえる。

耳が受け取る音は、心の中で他の情報と合わせて処理され、調整されて聞こえる。

聞こえているのはそのような音なのだ。

耳が受け取る音がなければ、音が聞こえることはない。しかし、心がなければ、今聞いているような音は聞こえない。