yabu912yabu912さん、にゃんとらさん、コメント有り難うございますハート
正解は、イタリア語の父、「ダンテ・アリギエーリ」でした。
 
 
この方。
 
 
ちょっとデフォルメしすぎちゃってますが(いくら何でも、そんな鼻はないだろう!みたいな)。
 
ここでちょっとだけ、ダンテの一生をメチャメチャザックリと書きますね・
 
1265年5月29日イタリア、フィレンツェ生まれ
双子座
1321年9月14日に、アドリア海に近い街リミニで、マラリアにかかり死去。享年56歳だった。(意外と若くして亡くなったんですね)
 
後年執筆する「神曲」の天国編で登場するベアトリーチェ(実在の人物)とは、彼が9歳の時に出会い(!)、更に18歳の時に再会して、それ以来、一生、彼女に恋をし続ける(でもダンテも彼女も、それぞれの許嫁と結婚し、ベアトリーチェは24歳の若さで亡くなります・涙)。
ダンテは、当時フィレンツェで勃発していた市民戦争、白のグエルフィ党(ローマ教皇派)VS 黒のギベッリーニ党(ドイツの神聖ローマ皇帝派)の対立に巻き込まれ、ギベッリーニ派が優位に立ったため、グエルフィ派に属していたダンテは、1301年にフィレンツェを追放されてしまう。
 
1307年から亡くなる直前まで、「神曲」を執筆する。「地獄編」、「煉獄編」、「天国編」に分かれた叙事詩の中で、ダンテ自身が主人公となり、古代ローマの詩人ウェルギリウスと一緒に、森の奥で彼に導かれ、地獄、煉獄、天国を旅し、そこで出会った人々の話を書き伝えると言うストーリーだ(それぞれの人物が実在の人物である事も、とても画期的だったそうです。煉獄編の暴食者の章では、『暴食に明け暮れた者が、決して口にする事が出来ない果実を前に、食欲を自制する』というダイエット(汗)。他人事とは思えません。煉獄編は結構身近な感じ・笑)
 
それまで、書物はラテン語、話し言葉はトスカーナ方言(イタリア語)と分かれていたものが、初めてイタリア語で書かれた書物としても、この作品が評価されています。イタリアの中学校で必ず習います。
 
1321年にラヴェンナで亡くなり、彼の本当のお墓はリミニにあります。フィレンツェのサンタクローチェ教会内にある墓標は、記念碑で、実際には空なんです。
 
フィレンツェにいらしたら、ダンテの家(実際には彼の家ではなくて、ダンテが生きた時代の様式の家ですが)の前にある、この横顔を探してみてください。結構、難しいので(笑)。
 
Casa di Dante (ダンテの家)
Via Santa Margherita, 1, 50122 Firenze