【伊勢路旅7日目】相賀〜馬越峠〜尾鷲 その③ | 小林千穂の「山でわくわく」

小林千穂の「山でわくわく」

山岳ライター小林千穂のブログです
登った山や、登山に関する情報などをお届けします

伊勢路歩き旅7日目(2017年10月26日)の続きです。


この日、尾鷲の街の中を歩いたので
私が見た場所を紹介します。


だいたい伊勢路沿いにありますが
伊勢路ナビを見ていただくと
場所がわかりやすいと思います〜。

伊勢路ナビ



〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜  〜

馬越峠から下りて来て
北川を渡る手前、右側に尾鷲神社があります。

{44671813-4971-4721-873A-C24C7CD21FCD}

主祭神は須佐之男命(素盞嗚尊)。


{A34502C0-E1BB-483F-96F6-BE81B3E9C591}


宝永4年(1707)と安政元年(1854)の
大津波で神社の記録がすべて流されて
古いことはわからないのですが
700年ごろ(大宝年間)には、
すでに神社があったそう。


{08CC65E2-0A28-42FE-A97F-F71F2EB1EEEC}

ここには大きな楠の木が2本あります。

それぞれ周囲10m、9mもあり、
樹齢は1000年を超えると推定されています。

1000年生きているということは
この地を何度も襲った津波にも負けず
尾鷲の歴史をずっと見続けている
木なのですね。

{35FC98FF-8B72-4FAF-9A52-D9522B613D5F}

寛永12年(1635)、紀州藩が記した
山林保護のための文書にはこの木も載っていて
その時すでに周囲6mの大木だったと
書いてあるそうです。

木の命の長さってすごいものですね。


尾鷲神社の隣には金剛寺があります。

{59BB01D6-B2D9-417C-98EE-D8A85B7AAD4E}

仁王門が大きかった〜!

大きな神社やお寺があることからも
林業の街として栄えた歴史が感じられます。

このあたりは木材を運ぶトロッコ道が通り
大きな倉庫があったそうです。


{9FA40D2E-30D6-4FDC-B007-876D4EB9ED39}

尾鷲観光物産協会に寄ると
「おわせ棒」など
おもしろい観光情報が得られますよ。

あぁ、おわせ棒。

全部制覇しようと
狙っていたのですが
お店が閉まっていたりして
一本も食べられず…(T_T)

おわせ棒というのは、尾鷲の名物や
自慢の味を食べ歩きしやすいように
棒仕立てにしたもののようです。


尾鷲の街の中も
古い建物が何軒か残っていました。


念仏寺の斜向かいにはこんな建物が。

{62392543-09BC-408C-A3A8-2718F2A7228C}

病院でしょうか…?

{B8D64B37-674A-436E-8D2D-16F67F1296FE}

ロゴがおしゃれです。

伊勢路沿いにも気になるお宅があります。

{2A5B114D-91EF-4F25-B1D8-D1DC4DCE2DD2}

異国のようなヤシの木?と
それ以上に気になる門構え。

{6D5451DC-EBAA-47A5-A0B5-56EDDF68DE84}

長〜い、
とっても長〜い壁が続いていて


{33270A4D-F0AD-41BD-895C-94C52F7E9469}

その端にも大きな門。

地図を見るとこの場所は
「土井子供くらし館」となっています。

でもこちらからは入れそうにありません。

この大屋敷が気になって仕方がないので
何かお話を聞けないかと
建物をぐるっと回ってみました。


{D025ABB9-125D-4247-9B61-76D1821A8CBA}

すると、
お屋敷の入口には門はなく、
ちょっとした集落の入口のように
なっていました。

入口の倉庫で作業をしている
おばあちゃんがいたので
どのような方のお屋敷ですか?と聞いてみると
材木を扱っている
土井家のものだと教えてくれました。


子供くらし館は閉まっているけれど
ほかに洋館などがあって
建物の外は見られるから
自由に見ていって
と親切にも言っていただきました。

おばあちゃんは土井家の方だったようです。

お屋敷の中に入ってみると…

{5226AAE2-60BD-42B6-A68E-C07D1803BE2A}

テーマパークにありそうな
すばらしい洋館がありました。

個人のお宅ということで
あまり入っていくのも申し訳ないと思い、
奥へは進まなかったのですが
それでも大きな日本家屋がいくつか
見えました。


{E7904C07-2499-4A83-89DD-C7CC21BDD399}

ここは外から見た
ヤシの木の門ですね。

想像以上にすごいお屋敷でした。


あとから調べたら、尾鷲は
古くから山林を経営する企業がいくつもあり、
土井家がその頂点だったそうです。

お屋敷のりっぱさも納得。

土井家のお屋敷にある
江戸時代から昭和初期までの建物9件が
国の登録有形文化財に指定されているようです。

いいものを見せていただきました。


さらに伊勢路を歩き、川を渡った先に
袖片橋(そでかたし・そでかたしばし)がありました。


{B797A49E-E45F-469A-8206-EA0631EE6A36}

右の大きな石が、かつて
伊勢路にかかっていた石橋なのだそうです。

この橋には伝説があります。

それは、尾鷲に人が住み始めたころの話。

水地浦から尾鷲湾を挟んで対岸の向井に
煙が昇るのが見えました。

水地の人は向こうにも
人が住んでいるに違いないと
若者を見に行かせることにしました。

そのころ向井でも同じことを考え
若者を出しました。

その二人が出会ったのが袖片橋で、
お互い、向こう岸に
人が住んでいることに喜び合い
出会った証として、
それぞれに着ていた袖の片方をちぎり、
交換して持ち帰ったのだそうです。

伝説って戦になったとか
化け物になったという話が多いですが
これは平和でとってもいい話ですね。



さて、
尾鷲は伊勢路スタートから
100㎞地点にあります。


尾鷲まで来たところでひと区切りとし、
一度仕事のために私は山梨へ戻りました。



でも、伊勢路旅は
まだまだ続く…。