伊勢路歩き旅7日目(2017年10月26日)の続きです。
この日、尾鷲の街の中を歩いたので
私が見た場所を紹介します。
だいたい伊勢路沿いにありますが
伊勢路ナビを見ていただくと
場所がわかりやすいと思います〜。
伊勢路ナビ
↓
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馬越峠から下りて来て
北川を渡る手前、右側に尾鷲神社があります。
宝永4年(1707)と安政元年(1854)の
念仏寺の斜向かいにはこんな建物が。
右の大きな石が、かつて
尾鷲まで来たところでひと区切りとし、
大津波で神社の記録がすべて流されて
古いことはわからないのですが
700年ごろ(大宝年間)には、
すでに神社があったそう。
それぞれ周囲10m、9mもあり、
樹齢は1000年を超えると推定されています。
1000年生きているということは
この地を何度も襲った津波にも負けず
尾鷲の歴史をずっと見続けている
木なのですね。
山林保護のための文書にはこの木も載っていて
その時すでに周囲6mの大木だったと
書いてあるそうです。
木の命の長さってすごいものですね。
尾鷲神社の隣には金剛寺があります。
仁王門が大きかった〜!
大きな神社やお寺があることからも
林業の街として栄えた歴史が感じられます。
「おわせ棒」など
おもしろい観光情報が得られますよ。
あぁ、おわせ棒。
全部制覇しようと
狙っていたのですが
お店が閉まっていたりして
一本も食べられず…(T_T)
おわせ棒というのは、尾鷲の名物や
自慢の味を食べ歩きしやすいように
棒仕立てにしたもののようです。
↓
尾鷲の街の中も
古い建物が何軒か残っていました。
それ以上に気になる門構え。
とっても長〜い壁が続いていて
お屋敷の入口には門はなく、
ちょっとした集落の入口のように
なっていました。
入口の倉庫で作業をしている
おばあちゃんがいたので
どのような方のお屋敷ですか?と聞いてみると
材木を扱っている
土井家のものだと教えてくれました。
子供くらし館は閉まっているけれど
ほかに洋館などがあって
建物の外は見られるから
自由に見ていって
と親切にも言っていただきました。
おばあちゃんは土井家の方だったようです。
お屋敷の中に入ってみると…
すばらしい洋館がありました。
個人のお宅ということで
あまり入っていくのも申し訳ないと思い、
奥へは進まなかったのですが
それでも大きな日本家屋がいくつか
見えました。
ここは外から見た
ヤシの木の門ですね。
想像以上にすごいお屋敷でした。
あとから調べたら、尾鷲は
古くから山林を経営する企業がいくつもあり、
土井家がその頂点だったそうです。
お屋敷のりっぱさも納得。
土井家のお屋敷にある
江戸時代から昭和初期までの建物9件が
国の登録有形文化財に指定されているようです。
いいものを見せていただきました。
さらに伊勢路を歩き、川を渡った先に
袖片橋(そでかたし・そでかたしばし)がありました。
右の大きな石が、かつて
伊勢路にかかっていた石橋なのだそうです。
この橋には伝説があります。
それは、尾鷲に人が住み始めたころの話。
水地浦から尾鷲湾を挟んで対岸の向井に
煙が昇るのが見えました。
水地の人は向こうにも
人が住んでいるに違いないと
若者を見に行かせることにしました。
そのころ向井でも同じことを考え
若者を出しました。
その二人が出会ったのが袖片橋で、
お互い、向こう岸に
人が住んでいることに喜び合い
出会った証として、
それぞれに着ていた袖の片方をちぎり、
交換して持ち帰ったのだそうです。
伝説って戦になったとか
化け物になったという話が多いですが
これは平和でとってもいい話ですね。
さて、
尾鷲は伊勢路スタートから
100㎞地点にあります。
尾鷲まで来たところでひと区切りとし、
一度仕事のために私は山梨へ戻りました。
でも、伊勢路旅は
まだまだ続く…。