安藤忠雄さん画像食卓にあったPHPで、好きな建築家の安藤忠雄さんのインタビュー記事、
「"心の鎖国"を解こう」
が目にとまったのでシェアします。

NHKの今期の朝ドラ、初めて戦中の庶民の暮らしをマトモに描いた「カーネーション」で尾野真千子さんが演じる主人公、小原糸子の生き様がダブります。この「糸ちゃん」のモデルとなった小篠綾子さんの三女、コシノミチコさんと1年違い、戦中生まれの安藤さんが見て来た日本についての考察。

(日本には「資源がない」と繰り返されるのが気になりますが、これはカナダやオーストラリアのような自国の需要を遥かに超える資源がない、と捉えることにします。再生エネルギー先進国から見た場合、日本には豊富な資源があります。哀しいほど放射能で汚れてしまいましたが、土、森林、水、十分な太陽光、亜熱帯から雪国まで揃った自然。つい半世紀前は食糧自給率も100%でした。
 狭い国土、というのも然り。耕作地面積の比率は小さいとはいえ、世界の中で国土は特別小さいほうではありません。)


[引用ここから]
「"心の鎖国"を解こう」

戦後、日本が歩き出せた理由

 1945年敗戦の後、日本は東京、大阪、名古屋などほとんどの主要都市が廃墟となった状態から立ち上がり、1960年代末には世界第二位の経済大国に昇りつめるなど、プラザ合意(1985年)に至るまでは絶好調でした。

狭い国土には資源もなく、エネルギーもなく、食糧もない。まさに人間の力だけを頼りに歩いてきて成功した国は、他に例がありません。


日本人がこれほど力強く前進できたのは、終戦当時、向学心と好奇心と闘争心にあふれる"責任ある自立した個人"がまだいたからです。彼らは、国が強い方針を立てられなかった占領下で、国をあてにせず、自分の目標を自分で立て、自らの責任の下に歩き出します。

大人たちは地域社会で助け合いながらよく働き、子供たちは大人の言う事をよく聞きながら、目標を自分で設定して勉強してきたのです。


 ところが、冷戦構造の終結やバブル崩壊以降、日本は長い低迷を続け、いっこうに立ち上がることも歩き出すこともできないでいます。リーマンショック後に私は、中国や韓国、台湾、ベトナムなどアジアへの戦いの場
(仕事の場)を広げていったのですが、それらの国々の人たちは異口同音に言います。「日本はどうしたのか。以前の元気が失われている」と。

その理由は、戦後の立て直しをした責任ある個人がいなくなったからではないか、と私は思っています。なぜなら、いざ歩き出す為には、判断力を持った自立した個人がいないと難しいからです。そして、そういう人間を育てるのに大事なことは、いうまでもなく教育です


 日本は1868年の明治維新後、220年以上にわたる鎖国政策を捨てて、"世界の奇跡"と賛嘆されるほど急ピッチで国の近代化を進めます。よくぞ長い鎖国から世界の仲間入りを果たしたと思いますが、実は日本人の"心の鎖国"は幕末にはすでに解かれていて、世界を見たい、世界へ生きたい、世界と交流したいと思う人が出てくる。

吉田松陰もその一人です。23歳nとき浦賀沖へ師の佐久間象山と一緒に黒船を見に出かけ、西洋文明を目の当たりにして「海外留学がしたい」とロシア艦隊やアメリカ艦隊で密航しようとします。そんなことをすれば確実に死刑になるのはわかっていても、外国へ行こうとした。すさまじいばかりの好奇心です。


 松陰の門下からは高杉晋作、伊藤博文ら多くの人材が輩出しますが、彼らの勉強の仕方がこれまたすごくて、野良仕事をしながら本を読む。長州藩だけに限ったことでなく、日本中の藩が同じように独自の教育をしてきました。緒方洪庵の適塾では、一冊しかない本を奪いあうようにみなで回し読みしたといいます。

そうした責任ある個人、自分の意志を持った個人が明治という時代をつくり、それを隔世遺伝によって受け継いだ人たちが戦後の復興を担ったのではないかと思うのです。

日本人はもっと誇りを持とう

フランスのもと駐日大使で詩人のポール・クローデルは、同じ詩人で親友のポール・ヴァレリーに、
「世界中でこの民族だけは滅びて欲しくないと願う民族がある。それは日本人だ」
と言ったそうです。

彼だけではありません。明治時代に日本へ来た多くの外国人は、
「日本は素晴らしい国だ。貧しいが高貴で、家族を中心に地域社会や自然を大切にして生きている」
と賞賛しました。日本人はもっと自信と誇りを持ってよいでしょう。

アメリカは日本が再び戦うことを恐れて、日本人を徹底的に分析し、それをもとに平均的な知的レベルは高いが、没個性的な平和教育を日本に導入します。その教育は85年頃までは成功しました。

規格大量生産型経済に合っていたからですが、片方では個性ある人間、つまり、責任ある個人、自分の意見を持った個性ある人間をつくるという教育は置き去りにされてきました。

それに輪をかけたのが偏差値教育です。試験の成績という判定基準だけで選別された同じ様な種類の人間が、同じ大学へ行き、同じ官庁や企業へ就職することがずっと続いて、今の社会を形づくっています。

没個性的な人間の集まりでは物事を組み立てられないため、結局、何度も会議を重ねることで民主主義的にに解決しようとし、結果に対して誰も責任をとらない。これでは、日本は世界で起こっている変化に対応できません。


 親も問題で、子供から放課後などの「余白の時間」を取り上げました。私は子供のころは、近所の空き地や公園で、自分たちでルールを決めて遊び、お互いに成長しあってきました。時にはケンカもするが、ちゃんと限度をわきまえてやる。そうした中で、責任感や闘争心、創造力などを育んできたのです。塾通いで縛りつけるのではなく、少しでも自由に使える余白の時間を持たせるべきです。

 資源がないわが国では、国民の「考える力」が唯一の資産でしたが、戦後教育の中で失われてしまいました。もう一度、家族のこと、地域社会のことをしっかり考えることから始め、学んで前へ進んでいく必要があるでしょう。

例えば建築の世界で言うと、日本の技術は世界最高の水準です。施行精度も高く品質、スケジュール等の管理能力も優れている。

この高い技術力をもって50年しかもたない建物を100年もたせることができれば、資源は2分の1ですみます。省エネ技術も世界一です。世界の人口が幾何級数的に増えているという問題はあるにせよ、日本は高い技術で世界に貢献していくことができるはずです。にもかかわらず、今の日本人は「自分たちはダメなんだ」と下を向き考える前に心を閉ざしてしまっている。


誰にでもチャンスはある

幸い、日本にはまだ底力があります。東日本大震災で親を亡くした子供たちのために「桃・柿育英会」を設立したところ、1日に150件もの寄付の申込みがありました。

多いのが60歳以上の女性で、83歳の方は、
「最後までやれるかわからないけど、やれるところまでやろうということを目標に生きます」
と協力してくださっている。それだけ家族や地域社会に対する高い意識を持っている。

若者にもぜひ受け継いでほしいですね。そして、"心の鎖国"から脱して、とにかく一歩歩みだす。必要なことは歩きながら考えればいいわけで、歩みだせばすべての人にチャンスはあります。

ただし、チャンスを見つける能力は自分の問題。学歴がないから、英語が喋れないからダメだと下を向くのではなく、学歴はなくても常に新しいことに挑戦したり、英語を勉強して海外へ行くなど、自分の心の中がいつも燃えている人間になること。そのためには夢は大きいほうがよいでしょう。

(取材・文 秋津雷太、PHP No.766)

[引用ここまで]

恐らく、巷でもよく聞くことばが沢山並んでいますが、高卒で、海外旅行が困難な時代に渡航を果たし、専門教育を受けずに建築家としてここまで来られた安藤さんの言葉だから説得力があります。(歴史観に関しては一部ちょっと異論あるけど割愛。)私は国粋主義ではないですが、この人の言葉だから受けとめられます。

ここでおっしゃる責任ある個人を育てるための「教育」は、決してアメリカが精巧に作り上げた文部科学省の元では実現しないでしょう。(私は文部省下での教育者経験がありますが、当時から文部省は消滅したほうがいいと思っていました。洗脳どころか殺人組織と化した今は、心底そう思います。)

日本人にはまだ底力があるそうです(`・ω・´)b。建築物を含め、カネの為に全国に放射能をまき散らしながら何でもやる人間たちが国じゅう破壊しようとしているところですが、もいっちょきばりましょうか。長続きする方法で。既得権益側にも亡国を憂う人たちも居るんです。まだ少ないですが。


目次と第一章の一部、チラ見できます↓
歩きながら考えよう - 建築も、人生も (安藤忠雄)