【ミヒャエルと一緒に冒険に行く】 第二十三話   黒い亀 その2 | 佐藤シューちひろ

佐藤シューちひろ

意識の世界が見えてくると、日常の世界がすっかり変わってしまう。
見えない存在たちとの破天荒なコンタクト。
ブログ・シリーズ「夢の冒険記」「ミヒャエルと一緒に冒険に行く」「ニシキトベ物語」

風


赤楽の角皿 「風」
赤土、ロウ抜き、楽焼、還元冷却



影って何だろう……?

光と影が分かれることから、世界は始まったのだそうだ。

少なくとも、創世記ではそう言っている。

「はじめに、神は天と地とを作った。地はしかし荒れて乱れていた。

闇が原初の洪水の上をおおい、神の霊がその水の上をただよっていた。

神が言った。「光ができるように」と。

すると光ができた。
神は光がよいものであると認めた。

神は光と闇とを分け、光を昼と名づけ、闇を夜と名づけた。夜になり、朝になった。

これが一日目だった」

(創世記 ドイツ語版からの翻訳著者)


光がなかったときには、影もまたなかったのだ。光と影が分かれたときに、初めて宇宙のダイナミズムが始まった。

東洋では、それを陰と陽と言っている。影と光。陰と陽。その二つがあって、初めて生命の運動が起こるのだ。

光と影とは互いに追いかけ合い、逃げ合い、回転する。
夜が朝になり、朝が夜になる。それが一日。それが時間。

光と影とがなければ、時間もない……。

やっぱりペーターが言った通り、夢の次元で私が受け取ったあの黒い亀は、影だったのだろう。
それはひどく重くて、地球の中心まで私を引っぱって行こうとする力だった。

まさに、それが影なのだ。それは重さのあるもの、重力の力。それは、私を地球に引きつけておく力。

光は、それと逆のもの。それは、外へ向かって広がって行こうとする。上へ上へと、地球から離れて行こうとする力。

重力とは、引力だ。地球の中心へと引っぱる力。

それは、散らばっていた粒子が互いに引きつけ合い、一つに集まっていく力。凝縮して、物質になろうとする力。形あるものになろうとする力。

空の次元から、物質の次元へ。それが引力。その力によって、魂は身体を持とうとするのだ。
宇宙の中を彷徨うのをやめて、物質的な存在として地上で生きようとするのだ。

影。大地。身体。

この力は、光や天や精神に対して、下等なもの、穢れたものだとみなされてきた。光に対して闇、善に対して悪を振り当てられてきた。

亀を受け取ったとき、私は身体としての自分を受け入れたのだ。
人間は精神と身体の両方でできている。そういう存在としての自分というものを初めて意識した。
それが人間なのだ、と。

人間が生きる場所は、天でもなければ、地下でもない。その間の地上。

そして人間は、精神だけでもなければ、身体だけでもない。その両方が人間。

もし、そのどちらか一つでも拒否しようとするならば、それは食らいついて放さないスッポンのように、どこまでも追いかけてくるだろう。

何故といって、それは自分自身の一部だからなのだ。

置いてけぼりにされまいとして追いかけてくる子供のように、必死になって追いかけてくるだろう。

🌿🌿🌿

「あなたが言ったように、亀を受け取ってみたよ」

ある日、私はペーターに言った。彼と亀の話をしてから、もう一年も経った頃のことだった。

「ああ。亀って何だか知ってるか?」

ペーターはあくびでもするみたいに、言葉を引きのばして言った。

「地(エルデ)」

私は言った。

「そうだ。地。母なる大地」

「うん」

「亀は自分を守る力だ」

「うん......。影、地のエネルギーは誰もが必要とするものだよね。誰もこのエネルギーなしには、一秒だって生きてはいられない」

🌿🌿🌿

それからも、私はときどき地の底へ落ちてみる。

心が重く、下へ落ちていきそうな気分がする時というのがある。そういう時、以前の私なら、必死になって落ちるまいとしていた。落ちたら終わりだと思っていたから……。

でも、そうじゃなかったのだ。

落ちていきそうな気がする時は、地のエネルギーが必要な時なのだ。

それがわかった。

だから、私はもう、落ち込んでいく力に抵抗するのをやめた。そして、引きつけられるままに、地下へと落ちていった。

時に、地下では美しいイメージを見た。

白く光るサンゴのようなものの間を、私は落下していく。
白くて、木のように枝分かれしているもの。それは表面がつるつるしていて、蛍光白色に美しい光を放っていた。

何なのだか、わからない。その枝の分かれたところに、ところどころ小人が座っていた。その小人もまた、やっぱり白くて、蛍光白色にボォッと光っていた。

小人は、私がそばを落下していくと、挨拶するように親しげに手を振っている。

……何だろう、このサンゴのようなもの……?

……白くてツルツルしていて、枝分かれしていて……。

……これ、ひょっとして、根っ子か……!?

その時、私はハッとして気がついた。

これは植物の根なのだ。地下に向かって枝分かれしながら伸びているのだ。

……でも、おかしい。方向が逆……!?

もしこれが根ならば、上から下へと枝分かれしているはず……。 

でもこれは、木みたいに上へ向かって枝分かれしている。そこを私は下へと落ちていく、ということは……。

……ということは、私は地底へ向かって落ちていくのじゃなくて、地上へ向かって落ちている……!?

地表から下では、引力が逆に作用しているんだろうか? 何だかわからないけれど、ともかく私は今、地表へ向かっているらしい……。

そのとき、落下が止まった。底まで来たのかと思ったら、それは地表だった。私は発芽する植物のように、地面から頭を出していた。

外は春だ……。

明るい陽の光の中に、私はいた。

🌿🌿🌿

そのとき私は知ったのだ。
人間は地の底に落ちていきはしないのだということを。

地の底は、人間が生きる場所ではない。だから、落ちて行こうとしても、また地上へ引き上げられてしまう……。

引力が人間を地球の中心に引きつけている一方で、上へ引き上げている力もまた存在するのだ。

その両方の力に支えられて、私たち、地上に生きる空間を与えられているのだ。