絵画がある。
AさんとBさんに、「完全に同じ青」を与えるとする。
そうならばその意味で、その絵画は「普遍的な意味を見る者に与える」と言って良い。
AさんとBさんのそれまでの文脈は関係ない。
ところで、「見る」ことができるのは、それまでの文脈に依拠しているか。
「見る」ことが出来ない者は、「見る」ことが出来ないか。
確かに、「出来ない」と言って良かろう。
ところで、見ることが出来る理由は、「それまでの文脈に依拠している」だけだろうか。
それもあるが、それ以外に理由は無いか。
存在Aが、そこに存在しているのは、神が刻一刻生成しているのかもしれない。
1年目、2年目、3年目と「積み重なる」のではなく、
単位が年ではなく、刻でも良い。
1刻目の存在、1刻目の記憶を持った2刻目、2刻目までを持った3刻目。
そのように神が存在を生成しているのかもしれぬ。
経験的記憶と思っているものは、その時に生成されているのかもしれぬ。
神によって。
あるいは、目の前の絵画によって。
目の前の絵画によって存在を得た私は、絵画を描く。
絵画だけではなく、存在は存在によって現実に存在を得ている。
存在を一つ一つ消していき、時間も空間も消せば、自らも消え失せる。
一つの存在は全ての在り方を変え得る。
記憶も変え得る。
たった一つの存在が全ての意味を変え得る。
全ては刻一刻消え失せる。
あるいは残るのは、「存在」だけかも知れぬ。
無属性の存在。
決断することが出来る。
他者からの呼び掛けに応じることも出来る。
そして、存在Aになる。
その存在は属性を持ち、記憶を持っている。
決断して、出現する。
その絵画を選ぶことによって、存在は、始めて出現する。
その絵画によって、存在の属性が決められる。
絵画だけではなく、それは万物に言える。
ただ、「芸術」というものがあるとすれば、
その存在の基調になってしまうものかもしれない。
それは1つでなくとも良い。
移り変わっても良い。
出現する前の無属性の存在は、「『経験』を踏まえた印象」を、「私に与えよ」と、
その絵画に対して要求することも出来る。
その絵画は「言われなくても」、『経験』を踏まえた印象を与えることが出来る。