「農地を整えてくれ」
→「自分でやれ」
→「自分じゃ出来ない」
→「諦めろ。甘えるな」
しかし、学校は一人で作ったか。
社会資本は一人で整えたか。
会社は国から助けられていないか。
個人も法人も「国」に助けられているのである。
それに対して、
「多くの人間が学校を出て、会社に勤めて、定年で、死んでいく」のだから、
「それは民主的に選ばれているのだ。だから、そこに国からの支援があっても当然だ」
「他のライフスタイルは人気が無いので、支援が無くて当然だ」という意見。
しかし、それは本当なのか。
「人気」は何によって決まるのか。
「人数」だろうか。
「人数」が多いからと言って、本当に「喜んで集まっている」のか。
流行や社会システムによって、洗脳的強制をしていないか。
学校を出て、企業に勤め、定年し、死んでいく。
(ちなみに、今は家族を作ることすら困難な心理的状況)
「洗脳的強制?おかしな言葉を作って誤魔化すなよ。世の中なんて、そんなもんだろう」
しかし、「その時代の社会システムが本当に国民のためになっているか」どうかは、
常に検討されるべきだろう。
だから、社会システムも昔から今に至るまで、絶えず変化し続けてきたわけだ。
社会システムを、より国民の欲望に適ったものにするためには
「国民の声」を聞いて、それを反映したことを実行すべきだ。
では、「国民の声」を、どのように汲み取れば良いのか。
その一つの手段が対話であり、人々の動向を調べることだろう。
今現在「注目が集まっているところ」などを参考にするのも良い。
「民主主義」であり、「マーケティング」だ。