福田恆存が好き
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ジャレット、グールド、良寛

キース・ジャレット
メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー

キース・ジャレットの音は本当に美しい。

ただケルンコンサートは曲が俗っぽいので、それが嫌だ。

「メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー」「星影のステラ」などが最高。

松岡正剛が良寛、グールドなどと並べていたが、賛成だ。

レベルの高い音は本当に美しいものに対する希求から生まれる。

保田、生活、音階

保田 与重郎
保田与重郎文庫 (6)

保田与重郎文庫 (21)
保田 与重郎

「平安貴族は『儚い』と言って夢幻を嗜んだ」と保田は言っている。その通りだ。森羅万象の中で最も好きな連中。ファッション評論家を皆殺しにしろ。

マルローは日本は「愛と死と音階」において中国と異なっている。「音階においては西洋に近い」と言っているが、その通りだ。物語りなくして理想なし。理想なくして生活なし。

現実に対する官能的な接触を忘れるな。平安貴族を見習え。最も必要な能力は官能性だ。

マルロー、源氏物語絵巻、那智滝図

竹本 忠雄
マルローとの対話―日本美の発見
丸谷 才一
後鳥羽院 第二版

源氏物語絵巻と寝覚物語絵巻が好き。保田與重郎が「寝覚は新古今的である」と言っていたが、その通りだ。あの色彩感覚。絵巻の傑作が日本の絵画の頂点。源氏の前に源氏なし、源氏の後に源氏なし。

アンドレ・マルローは平安貴族について詳しくない。凄さはわかっていたろうが、明らかに具体的言及が少ない。「仮名書って最高!」などと言う発言もない。禅は禅で良いが、神道の方が遥かに良い。禅など現代科学で十分だ。

那智の滝は素晴らしい。後鳥羽上皇、素晴らしい。人麻呂は最高。日本の縦物質。白刃一閃。伊勢神宮は素晴らしい。仏教的無常観など勝手に消化されるべきものだ。発音しなくて良い。

油絵、重い、三岸節子

三岸 節子
花こそわが命―三岸節子自選画文集

日本の油絵描きは野暮ったい。油絵は素材として重いので、淡白な人間には使いこなせない。重たいダンベルを軽々と持ち上げられないのと同じだ。

長谷川利行はなかなかだが、それにしてもやはり若干重い(素晴らしく良いが)。山口薫、難波田龍起はなかなか良いが、やはり重い。

三岸節子、佐伯祐三などは「そのこと」が常に頭によぎるような人間なので、折り合いは付けているような感はあるが、やはり重い。さっさと描くのが、やはり得意な民族。


習慣、記号、女

習慣の奴隷。物事を記号化して見てしまうのだ。京都のナントカ院に勤めているような女など全て習慣の奴隷である(全ては確かに言い過ぎだが。可愛いオバサンもいた)。相手が問題なのではなく、貴様の心が問題だ。

女は汚い。だから、教会は童貞を勧めるのだ。絶えざる歓喜に走り抜けろ。

小林 敬
存在の光を求めて―ガブリエル・マルセルの宗教哲学の研究〈1〉
山川 紘矢, 山川 亜希子, 北原 教隆
アシジの丘―聖フランチェスコの愛と光

神道、浪漫、古典

高橋 睦郎
高橋睦郎詩集
高橋 睦郎
読みなおし日本文学史―歌の漂泊
原始時代は古典的と言うわけではないが、論理的ではある。「転んだら→痛い」と言うわけだ。しかし、日本の場合、女性的なので、かなり早い時期からと言うより、原始からロマン的である。因果関係が、かなり「ぶにゃっ」としている。それで良い。それが良い。ふてぶてしい。

唐津、呼ぶ声、外へ

川瀬 敏郎         
四季の花手帖 (1)    
川瀬 敏郎
四季の花手帖 (2)

川瀬敏郎が「唐津は江戸時代的『型』を感じて、活け難い。惹かれない」と言っていたが、わかる。絵画として、私は唐津をそれなりに愛するが、「呼ぶ声がしない」。もちろん、焼き物であるから、浪漫的である。しかし、呼ぶ声が内に入っていく。他のものを呼ばない。

要は、活け難い。外に広がるふくよかさが足りない。絵としてはなかなか。

蟠り、爆発、女

アシジの聖フランシスコ, 庄司 篤
アシジの聖フランシスコの小品集

女は蟠りを嫌う。蟠りの持つ爆発力は不安定を如実に認識せしめるので、女は嫌う。オタクが嫌われるのも、男の持つ爆発力に対して女が本能的な予防線を張っているからである。

荷風は「日本人は明日の晩飯の心配はするが、妄想によって歴史を動かしたことがない」と言っている。女は「夢の欧羅巴」は好むだろうが、「現実のヨーロッパ」は絶対に嫌う。男性的な資質、しつこい、神経質、短気、抽象能力、ニヒリズム、逆上的情熱。

尤も、私はアッシジの聖フランチェスコを物凄く愛する。彼は男性的資質と言うより、童貞だ。童貞は女に肉体的快楽をもたらさないだろう。

フランス女は比較的男性的であるが、現在は男の檻を破って、発狂している。

荷風、源氏物語絵巻、文学者は野暮だ

永井荷風は好きだが、美意識が低い。それは本人もわかっていたろう。そもそも江戸のレベルが低い。ジャポニスムなど気味が悪いだけ。白洲が言っていたが、「江戸時代の堕落した浮世絵などでなく、源氏物語絵巻を見ていたら、彼等は腰を抜かしたろう」と言っていたが、ゴッホなどの好みはともかく浮世絵など別に美しくない。

荷風は文学者的野暮ったさがあり、彼の好む作品を一々取り沙汰していても話にならぬが、では荷風が嫌いかと言うと、最初に書いた通り、好きだ。彼の美に対する心意気が良い。

ちなみに、「珊瑚抄」は美しい。上田敏も良い。ただ、最も好きなのは北原白秋。

永井 荷風, 野口 冨士男
荷風随筆集 上 (1)
北原 白秋
北原白秋詩集

素材、魯山人、馬糞

北大路 魯山人, 平野 雅章
魯山人陶説

素材が悪ければ、その時点で終わり。馬糞を使って美味い料理など作れるわけがない。良い料理は良い素材を、良い素材は良い環境を、良い環境は良い人を不可欠に必要とする。それが必要なのだから、生活から変えていかなくてはならない。現代の環境保護運動など、私は詳しく知らぬが、余り好きではない。大体、奴等の目は虚ろだ。もっと、劇的な瞳をし、現実を食い入るように見詰めていなければならない。

魯山人が好きなのは、美を求める気概が激烈だからだ。