埼玉県の発祥地は現在の埼玉県行田市・前玉神社の鎮座する地である。



御祭神は前玉比古神と前玉比売神のニ神で、神社は浅間古墳という陵墓の上に鎮座している。
前玉神社が古来浅間塚又は浅間古墳と称されてきたのは陵墓を富士山に見立てて信仰の対象とし、富士山の鎮守神・富士浅間大社の御祭神・木花咲耶姫を祀った富士信仰のためである。

その為、摂社として浅間社も鎮座する。


この周辺には多くの古墳が点在し、恐らくは、この地を中心に、強大な勢力を誇ったこの地を治める豪族がおり、この地に鎮まっていると考えられる。



「前玉」と書いて「サキタマ」と読むが、この語源は「幸魂」つまり「サキミタマ」である。
「幸魂」とは幸福を呼び寄せる神魂の事であり、つまり、国家と国民の幸せを祈る慶賀の言葉である。
この「サキタマ」が長い年月を経て転訛し「サイタマ」と発語されるようになった。


行田市の前玉神社の近くでは「埼玉」という地名も残るが、ここでは「埼玉」と書いて「サキタマ」と今も読まれている。

つまり、埼玉県の発祥とは、非常にめでたい慶賀の言葉にあるのだ。
浅間古墳に鎮まるニ神の遺徳と神威の高さを表している。




また、この地は古来栄えた地である為、関東では珍しく『万葉集』にも度々詠まれている。

前玉神社拝殿に向かう石段の麓の左右に建つ燈篭にも、この地を詠んだ万葉集の歌が刻まれたいる。

右側「埼玉の津」の燈篭
巻十四 三三八〇
『佐吉多万能 津爾乎流布禰乃 可是乎伊多美  都奈波多由登毛 許登奈多延曽禰』
(さきたま)の 津(つ)に居(を)る船の 風をいたみ  綱は絶ゆとも 言(こと)な絶えそね
(埼玉の渡し場に停まっている船の(船を留めておくためのその)綱が、烈しく吹く風のために切れることがあっても、私たちの恋は切れて絶えないでおくれ(例え二人は逢えずとも、決して心伝える便りは絶やさないで下さい)

左側「小埼沼」の碑
巻十四 三三八〇
『前玉之 小埼乃沼爾 鴨曽翼霧 己尾爾 
零置流霜乎 掃等爾有欺』
 埼玉の 小埼の沼に 鴨そ翼(はね)霧(き)る 
 己(おの)が尾に 降りおける霜(しも)を 払(はら)ふとにあらし
(埼玉の小埼の沼で、鴨が羽ばたきをして水しぶきを上げている。自分の尾に降りた霜を払おうとしていようだ。
これは、常陸国守・藤原宇合(うまかい)の臣下の虫麻呂が公用の旅でこの地を訪れた際に、目に触れた情景を詠んだ歌だ。

東京がもてはやされ、東京に住む事がブランド化する昨今だが、東京とは徳川家憎しの明治新政府により一時的な奠都先であったに過ぎない。
本来の帝の坐す都とは大和であろう。
そんな東京に比べ、埼玉は「だ埼玉」などと貶められ、県民までもが自らそれを自認し自ら卑下しているのを耳にする事があるが、とんでもない事である。
慶賀の言葉そのものを県名として仰ぐ埼玉県民は自身の住まう県の起こりを学び、自身の郷土を誇るべきである。
そんな事を、前玉神社の龍泉池のほとりにて随行者にお伝えしていたところ、突如、鷹が飛来し、その直後に雷鳴が轟いた。
龍神の御霊が発動したのである。


埼玉発祥地の前玉神社の龍泉池には龍神が鎮まる。

近年貶められてきた埼玉の誇るべき真実を明らかにさせて頂いた事で、埼玉の鎮守の龍神が大いにお喜びになり、私の立つ目前にて、大地から駆け上がり天翔っていったのだ。
龍神のパワーは非常に強大なものだ。
埼玉の真実を明らかにさせて頂いて以来、関東は観測記録を更新する程の豪雨と雷となった。
その翌日には初代神武天皇の生誕地・宮崎の日向灘にて大地震も起きた。
龍神の荒御魂発動である。
これ程までに、龍神がお喜びになられた事は恐縮な事ではあるが、あまりに天変地異が起こってはと思い、これより龍神にお鎮まり頂くよう、ご祈祷をさせて頂く所存。
何はともあれ、日本の古代史を知る為には神社を知る事からまず始めねばならない。

そして、この度の日向灘、そして神奈川県での大地震にて被災された皆様には衷心よりお見舞い申し上げます。
1日も早く、平静な日々に戻るよう、これより連日ご祈祷をしてまいります。
余震など不安な日々が続きますが、パニックになったり買い占めに走ったりされるのではなく、これまで通り、備えよ常にの心構えにてお過ごし頂くよう宜しくお願い申し上げます。