【沖縄訪問レポシリーズ】
沖縄県中部最大にして宜野湾市唯一の神社であり「琉球八社」という琉球王国から特別な扱いを受けていた八社の一社にも数えられている由緒正しい「普天満宮」へ参拝。
同行してくださっていたCGアーティスト・平山則廣さんのお繋ぎでご挨拶をさせて頂いた宮司様のお計らいで奥宮の普天満宮洞窟も参拝させて頂いた。
奥宮の写真は神域なので非公開とさせて頂く。
 
普天満宮は、遡る事琉球王国時代、普天間の洞窟(現在奥宮とされる普天満宮洞穴)に琉球固有の古神道の神が祀られたことが創祀。
琉球王「尚金福王」から「尚泰久王」が治めた時代(1450~60年頃)には熊野権現も合祀され、現在の神社の原型が確立された。
また、琉球古神道神の日の神、竜宮神(ニライカナイ神)、普天満女神(グジー神)と天神・地神・海神といった、沖縄ならではの神々も合祀されている。
 
この普天満宮洞穴には、二つの神話が伝わる。
ひとつは『普天間仙人の伝説』。
昔、中城間切谷屋村に貧しくも信心深い百姓夫婦が住んでいましたが、ある年の凶作で困り果て、妻が首里の殿内に奉公することになったが、貧しいながらも信心深い夫婦は、どんな状況に置かれても普天満宮参りだけは欠かさずに通った。
妻がいつものように普天満宮へお参りに行くと一人の老人が現われ、「用を足してくるから大切な品を少しだけ預かってくれ」と、何やら包みを渡され、老人はそのまま姿を消してしまった。
仕方なく、妻はその包みを家に持ち帰り、大切に保管していたが、ある晩、夢にその老人が現われて「我は熊野権現なり。汝等は善にしてその品を授けるものなり」と告げた。
不思議に思った妻がその品物を開けて見ると、中には黄金が入っていたという。
神の恵みに感謝した夫婦は、恩返しとして石の厨子を造り、熊野権現をかたどった三体の石像を安置した。
この老人こそが仙人、つまり「熊野権現」であり、当社の祭神に習合された所以と云われている。
 
もう一つは、『女神の伝説』。
その昔、首里の桃源という所に、世にも美しい乙女がおり、島中に評判となっていたが、乙女は他人に顔を見られることを嫌がり、人前に姿を見せようとせず、機織りに精を出していたため、ほとんどその乙女の顔を見た者はいなかった。
この乙女、美しいばかりでなく不思議な力があり、予知夢をみることもあった。
ある時、乙女が家でまどろんでいると、父と兄が溺れている夢を見た。
乙女は急いで片手で兄を助け、もう一方の手を父に伸ばそうとしたが、その時、部屋に入ってきた母に起こされ、夢から覚めてしまう。
その後、父と兄が遭難したという知らせがあり、兄は奇跡的に生還しましたが、父は戻らなかった。
結局父を救うことができず、乙女は悔やみ続ける日々を過ごした。
 
またある時、乙女の妹の夫は、義姉が美人であるという話を聞いて、どうしても義姉の顔が見てみたいと妹に懇願した。
始めのうちは断っていたが妹だったが何度も頼む夫に遂に根負けし、姉を庭に連れ出し、こっそり夫に覗かせようとした。
しかし、姉は妹の夫に気がつき、驚いて家を飛び出し、末吉の森を抜け、普天満の丘に向かった。
乙女が駆け抜けると、風は舞い、樹々はざわめき、踏んだ草はオオバコになってなびき伏した。
乙女は次第に清らかな神々しい姿に変わりゆき、普天満宮の鍾乳洞へと入っていった。
それ以降、再び乙女の姿を見た者はなく、この話を聞いた人々は、洞穴に消えた姉を女神として祀るようになり、乙女は普天満宮の永遠の女神になった。
この女神が「普天間女神」の「グジー神」であると伝えられている。
 
昭和20年の沖縄戦では、北から南下するアメリカ軍から逃れようとする人々と共に、本島南部へと普天満宮の御神体も避難すべく、約30キロ離れた安全な糸満市へ遷座した。
終戦後も暫くの間は、米軍によって敷地が占領されていたため、具志川村(現在のうるま市)に仮宮が造られ、その4年後、昭和24年に米軍により現在の敷地が解放された後は無事に元の鎮座地へ遷座し現在に至る。
尚、現在の社殿は、平成16年に再建されたものとなる。
ちなみに、沖縄県一ノ宮は沖縄県那覇市の波上宮である。
旧社格として官幣小社という高い社格を誇る神社で、沖縄県内の神社祭祀を語る上で欠かす事のできぬ神社だ。
今回の沖縄訪問では参拝できなかったので、またいつか機会があればお参りさせて頂きたいと思っている。