見知らぬ男性に中国人と間違えられたからか、その直後から天は怒りてゲリラ豪雨に…落雷の嵐は関東にまで及び、足立の花火が中止に追い込まれる事態へ😱


そんな嵐の中、役員さんに連れられて久々に来た名古屋の大須。
気分転換に買い物を楽しむ前に、まずはご先祖にご挨拶をと、大須商店街内に鎮座する富士浅間神社摂社・湊川社にお参り。
いつもお見守り頂いている事に感謝の祈りをお捧げした。


「延喜式」神名帳にもその名を残し、富士山、つまり浅間大神を祀る駿河国一宮・駿河本宮富士浅間神社の鎮座する静岡から遠いこの地になぜ富士浅間神社が?と思われるが、古来、富士山信仰は各地にあり、神仏習合により浅間大菩薩としても信仰された。
この地の浅間神社は、明応4年(1495)6月1日、後土御門天皇の勅により、駿河本宮富士浅間神社の神主・小林修理が勧請し、この地に創建された。


古代からあった浅間信仰だが、中世以降は特に大流行し、各地で富士塚と呼ばれる小山が築かれ、浅間神が祀られた。
この地も同じくで、実は富士浅間神社は古墳の上に建てられたので、浅間神社古墳とも称された。
すぐ近くには那古野山古墳や日出神社古墳、大須二子山古墳もあり、古代から神聖な地域であったらしい。
戦国期にこの辺りを治めた前津小林城主で、織田信長の妹婿にあたる牧長清は特に富士権現への崇敬が篤く、7度富士山に登拝すると誓いつつ3度までしか果たせず、残りはこちらからお参りされたとか。


牧長清といえば、この地に大和国の大神神社の神を勧請した人物だが、この事実がなぜこの地に摂社として湊川社があるかという理由に繋がると思われる。


大神神社といえば大和の始まりの地である磯城瑞籬宮(しきみずかきのみや)が営まれた地、つまり日本発祥の地ともいえる。
その地を守る神を勧請した牧長清とは、惟神の志篤く、國體を熟知した人物だったのは言うまでもない。
國體を重んじた牧長清が國體を守護した楠公を崇敬していたとも考えられる。
元は湊川社という社名ではなく、楠公社とかだったのかもしれないとも思うが、そこは歴史ミステリー。

いずれにせよご先祖の御霊が鎮まるお宮なので、しっかりお参りさせて頂いたら、雷雨は止み、日が差し、快晴となって、またまたビックリ。

ご神恩に感謝の堪えぬ日々だ。
もちろん、この後、しっかり買い物も楽しみました🤭