今回の東京出張では御英霊の御霊のお導きと思うご縁がありました。

人間魚雷「回天」乗組員だった故・湯川武弘様の御遺族様とのお引き合わせです。

湯川様は4月28日に天寿を全うされ、間も無く49日を迎えられるにあたり、御遺族様が散骨をされる為、出掛けられた際、偶然、都内で私をお見かけされ「もしかして、あの山下さんですか?」とお声がけ頂いたのです。

私は、丁度、都内での大河内茂太顧問との会合後の移動中で、大河内顧問も大いに驚いておられました。


御生前、私の講演会にお越し頂いた湯川様は、私の講話をお聴きになり「回天についてここまで真実を伝えてくれた講話は初めてで胸が熱くなった!」と質疑応答にてお話しくださいました事をつい先日のように思い起こしています。


湯川様は、海軍予科練甲飛13期生でいらっしゃいました。

山口県光基地から特攻兵として「回天」に搭乗、沖縄近海の米艦に向かって発進するため、イ号潜水艦甲板にチェーンで取り付けられた回天に下部ハッチから搭乗しエンジンを回転させ待機し、艦長から「1番艇発進」「2番艇発進」、そしていよいよ湯川さんが搭乗している3番艇の番に。

ところが、チェーンが外れなく発進できませんでした。

他の戦友は全て特攻で散華されました。

基地に戻り、暫く立ってから第二特攻隊の志願者募集があり、上官から「特攻志願するものは一歩前へ」と号令が出された折、湯川さんは、日本男児こそは!と一歩前に進みました。

しかし、第二特攻隊の出撃直前に終戦の詔勅が発せられ、8月17日に除隊。

戦後は「学徒引揚者援護会」幹事、産経新聞記者、「白瀬南極隊を偲ぶ会」事務局長などを歴任されました。


この世には目に見えぬ大いなる力が間違い無く存在します。

それをこそ、古来先人は神と呼んできました。

今回のご縁は、護国の神となられた尊き御英霊のお導きに間違いございません。


日本弥栄🇯🇵

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