初めて武蔵国一之宮にして旧官幣大社、勅祭社という社格を誇る氷川神社に参拝。


『吾妻鏡』や『神道集』によれば小野神社が武蔵国の一之宮と表記されており氷川神社は三之宮という説もある。


社伝によれば、孝昭天皇3年4月の創建、初代无邪志国造の兄多毛比命が成務天皇の御代に出雲族をひきつれてこの地に移住、出雲族祖神・須佐男命を氏神として祀ったのが創祀とされる。
この地は出雲族が開拓した地である為、武蔵国造(无邪志国造)は出雲国造と同族であり、社名の「氷川」も出雲の斐川(ひかわ)に由来するとも。


須佐男命による八岐大蛇伝説は斐川の氾濫を治めたものとみられ、その神威にあらかり、荒川の氾濫を治めたいという人々の祈りが氷川神社を尊崇の念の根底にあったと思われる。