本日は今上陛下の御誕生日を奉祝する日。

戦前は天長節とされて、現在でも宮中、全国神社に於いて天長祭が斎行される。
天長祭とは、天皇陛下の御長寿、皇室の安泰並びに国民の安寧と弥栄を祈念する祭事である。

我々神職は祝詞の中で
「天皇(すめらみこと)の大御代(おほみよ)を手長(たなが)の御代(みよ)の厳御代(いかしみよ)と堅磐(かきは)に常磐(ときは)に斎(いは)ひ奉(まつ)り幸(さきは)へ奉(まつ)り給(たま)ひ」
と御神前にて奏上する。

つまり、天皇陛下の御代が永遠に変わらず続いていく事によって、国家が安定し、国民の安寧と幸せが永遠に続いていく、という事を表している。

天皇陛下を中心に連綿と継承されてきた経糸を枢軸にして形成された国家が日本という国の国柄である。
日本の国歌「君が代」は神国日本の国體を実に見事に詠いあげた歌であり、国體を表したこの歌を国歌としたのは実に素晴らしい。

「君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
苔のむすまで」

祝詞にある
「天皇の大御代を手長の御代の厳御代と堅磐に常磐に斎ひ奉り幸へ奉り給ひ」
と同義であり、つまり、これが神国日本の国體である。

祝詞を知っておかねば、国歌の本義も理解できない。
祝詞とは、上古より日本人が神へ奏上し続けた言霊であり、これは先人が子孫の為に強く願った言霊である。

これは、全ての神職の、同じ思い、観念である。

然るに、昨今は、先人のこの思いを踏み躙るような誤った国歌「君が代」についての解釈や誤認識、勝手でいい加減にして軽々しい自論が余りに多く、思わず目を覆いたくなる惨状である。
「天皇の御代が続く事こそが、国家国民の幸せと直結する。だからこそ、天皇の御代が千代に八千代に長く続いてほしい」という事を願った歌であるというのが「君が代」の本義だ。

日本が神国であり、天皇陛下とは神と一体であられ、神事によって日本国と日本民族の安寧が守られている事を理解せねば、日本の国體を真に理解する事はできない。