南朝を守った楠公の銅像がなぜ、北朝の皇統たる今上帝の皇居前に建立されたのか?とよく質問を頂くがその回答は以下の通り。


瓊瓊杵命が高天原から降臨される時、祖神である天照大神から、国土をしっかり治めるようにと託されたのが稲穂と三種神器。

皇統は天照大神の曾孫にあたる瓊瓊杵命からの男系血統のうち、三種の神器承継により神と一体となり天皇となられた血統。


皇族の中の天皇となられた方の役割は、稲を作り、それを皇祖神に供え、国家国民を安寧に司るよう祈りを捧げつつ、国家を治める事にある。

そのためには、天皇は天照大神と一体でなくてはならない。

天照大神と一体となる為に行われる神事に必要なのが、御代替りの大嘗祭に於ける三種神器承継の儀。


南北朝当時、北朝は三種の神器を奉持しておらず、南朝帝が奉持していたので、現在の皇室は当然北朝の皇統であるが、南北朝当時は南朝が正統であった。

これは明治天皇により裁断がくだされ、皇統譜にも明記され、皇居・賢所の皇霊殿にも南朝、北朝共に歴代帝の御霊が祀られている。


楠公像に象徴される南朝の人々は、天皇が天照大神と一体でなくてはならず、天皇が神と一体となる為には三種神器承継が必須でなくてはならないという國體の原理原則を正しく認識していたからこそ、國體を守る為に足利や北条と戦った。


皇居外苑の楠公像の存在意義とは、國體を遵守するという、固い決意の証と考える。

詳しくは拙著『建武中興と楠木正成の真実』にも書いているのでご参考に↓