関東にご縁あり、との事で、武蔵国一之宮にもご挨拶の為参拝。


武蔵国一之宮として最近は氷川神社が認識されているが、古来、小野神社が一之宮と認識されてきた。

『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国多磨郡 小野神社」の論社の1つ。

鎮座地の近くが武蔵国府であった為、武蔵国一宮 となった。


一之宮とは、中世に全国的に確立した、国内における神格の格付けで、国内第一の鎮守の神威を持つ事を意味する。

武州六大明神の一つとされ、これらを祀る武蔵国総社の大國魂神社(六所宮)には小野神社を一宮、最近では一般的に武蔵国一之宮も認識される氷川神社(勅祭社)を三之宮として祀っている。

武蔵国内には一之宮小野神社(多摩市)を筆頭に、二之宮小河神社(現・二宮神社:あきる野市)、三之宮氷川神社(さいたま市)、四之宮秩父神社(秩父市)、五之宮金鑚(かなさな)神社(児玉郡神川村)、六之宮杉山神社(横浜市緑区西八朔)とする。

国司が任国に赴任した際には、国内の主要な神社を参拝したとされており、武蔵国の6つの神社もそうした神社であったが、特に一之宮には国司が最初に巡拝し重視した歴史がある。

「小野社」の名が初めて史料に見られるのは宝亀3年(772年)に作成された太政官符で、「多磨郡□野社(多磨郡小野社を指すと思われる)」と記されている。

鎌倉時代の『吾妻鏡』、南北朝時代の「神道集」共に小野神社を一之宮と記している。

論社には他に府中市の小野神社がある。

多摩川の氾濫にともない遷座を繰り返した結果2社になった、又はどちらかが本社でもう一社は分社とされる。



祭神として、武蔵国北西部となる地域(知々夫国)を支配した知々夫国造の氏神・秩父神社の祭神・思金神の子である天下春命を始め、祓神の一神である瀬織津比咩命・伊弉諾尊・素盞嗚尊・大己貴大神・瓊々杵尊・彦火火出見尊・倉稲魂命が祀られている。

古くは、小野妹子や小野小町らを輩出した小野氏の祖で第5代孝昭天皇皇子で、第6代孝安天皇の同母兄、第7代孝霊天皇の外祖父にあたる天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)を祀っていた。

古来、神とは自然そのものであった。


自然災害の多い昨今だからこそ、関東の皆様におかれては、武蔵国最大の鎮守の神である一之宮を参拝頂きたいと切に願う。