昨日1月5日は、丁度675年前の本日(旧暦)、四條畷の戦いがあった日で、楠木正成の嫡男・楠木正行の命日でした。

正月あけて早々の合戦、大変だっただろうなと毎年この日になると思わされます。
正行は僅か23年の生涯であったけれども、四條畷の戦いを除いては、足利方の大軍との数々の戦いに於いて圧倒的連戦連勝の武功を挙げた超絶勇猛な武将でした。
一方、数々の和歌も残されており、北畠顕家ばりに、公達のように雅な面も併せ持っていました。
三輪晁勢が描いた楠木正行の肖像画は、正行のその特性を見事に描き出していて、私が最も推す正行の肖像画ですが、最近は、横山大観が描いた、品格ある正成像と共に、あまりネット上では見かけなくなりました。
これも楠木一族を悪党と位置付けたい意図によるもので、特に、正成の肖像画は武骨そうなものばかりがネット上で挙がってくるのは残念な事です。
それはさておき、正行の肖像画をご覧頂けば一目瞭然ですが、とても色白の美男子で、まさに公達の風格が備わっています。
生まれながら、正成の嫡男として育ち、僅か15歳にして朝廷から「左衛門少尉」という六位相当の位を与えられており、そんな背景を元に、とても高貴な育ちが上手く表されている正行のイメージそのもののを描き出しているのが、三輪晁勢の肖像画なのです。
朝廷の女官からもモテたようで、南朝きっての美女にして才女という名を北朝にまで轟かせた弁内侍との恋物語は、現代の女性達の心をも掴んで放しません。
正行と弁内侍との悲恋を描いた宝塚歌劇『嵐桜記』にも多くの女性ファンが殺到したのはご記憶に新しいかと思います。
四條畷で正行が戦った足利尊氏の執事・高師直もまた弁内侍の美貌を聞きつけ、自分の側女にしようと目論見、正行によってこれを阻まれていますが、実は、四條畷の戦いのそれぞれの大将・正行と師直は嘗ての恋敵であったりするのも、皮肉なものです。
尤も、師直の場合は、とことん素行の悪い男で、公家の娘を無理矢理に拉致し自分の側女にしてみたり、武家の塩冶判官の妻に一目惚れし、人妻を略奪する為、夫の塩冶判官に謀反の冤罪を着せて討ち滅ぼしてみたり。
師直の素行の悪さは女癖に留まらず、天皇の事を「そんなに尊いもんが必要なら、木か金で天皇ってのを作って飾って拝んでおき、生きてる天皇は川に流してしまえ」と公的に言い放ち、天皇がいらっしゃる吉野御所を焼き討ちにしたりと、師直はとんでもな武将でした。
清廉潔白な正行とはかけ離れて対象的な師直だったのです。
さて、足利尊氏の嫡男・義詮は、育ちの良さから、世を、そして人を見る眼識の高い人物でした。
義詮は、生前から正行の崇高な仁徳、生き様を尊敬し、正行の死後に至っては「あの尊敬してやまぬ正行の隣に自分も葬ってほしい」と遺言、その遺言は叶えられ、義詮の死後、宿敵同士であったはずの楠木正行と足利義詮は隣同士で眠る事となりました。
恩讐を超え、その尊い志は多くの志を同じくする人々の心を打ち続ける事となったのです。