伊豆国一宮、伊豆国総社にして官幣大社という社格を誇った三嶋大社へ。


社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島の尊称「御島(みしま)」に由来する。

主祭神は、伊予国一宮の大山祇神社(大三島神)の神縁深き大山祇命と、大国主命の御子で国譲りの後に伊豆諸島の開拓神となった積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)。

伊豆国造の後裔を称する矢田部氏が神職を代々世襲している。

以上、三嶋大社の由緒について後世の学者が様々な学説を唱えているが、学説ばかりにとらわれるのではなく、間違い無い事は、古来から人々が伊豆諸島を神として敬い、その噴火を畏れ、更に篤く崇敬してきたという事であり、この揺るぎ無き事実をこそ重視すべきだ。


中世以降は、伊豆国の一宮として源頼朝を奉じた北条氏の地盤の神であった事から、頼朝を始めとする多くの武家から崇敬されるようになる。

特に、源頼朝の三嶋崇拝は特筆するものがあり、『吾妻鏡』によれば、治承4年(1180年)平家討伐の挙兵直前に安達盛長に対して三嶋社への奉幣を命じた後、伊豆北条氏の支援を受け、目代の山木兼隆を討ち取り、平家軍との戦のため西に進軍した事は有名だが、このような頼朝の戦勝祈願の事蹟より、源頼朝が三嶋社を篤く崇敬していた事が窺われる。

この事蹟を受け継いだ鎌倉幕府は、頼朝以降も三嶋社を鶴岡八幡宮や二所権現(伊豆山神社・箱根神社)と並んで信仰し、鎌倉幕府将軍は代々三嶋社に参詣する事が慣例となった。

かくして鎌倉幕府を始め武家から崇敬された三嶋社であったが、近世以降、当地が東海道の宿場町として発達したことに伴い、三嶋大社は東海道を往来する庶民からも篤く信仰されるようになっていく。



本殿・幣殿・拝殿が国の重要文化財に、境内の神木・キンモクセイが国の天然記念物に指定されているほか、社宝として頼朝の妻・北条政子奉納と伝わる国宝「梅蒔絵手箱」を始め、頼朝と政子の腰掛岩等、多くの宝物や史跡が重要文化財や静岡県指定文化財に指定されている。




三嶋大社もまた大河ドラマ『北条殿の13人』のゆかりの地であるが、それ以前に、古代日本の自然崇拝の象徴たる地である。