「八百富神社」は、愛知県蒲郡市の三河湾に浮かぶ「竹島」を境内とした神社で「竹島弁天」とも称され、「日本七弁天」の一つとされる

「一生の幸福が得られる」「縁結び」の御神威がある事で知られ、昨今のパワースポットブームに乗ってか、多くの若者やカップルで賑わっている。

この地は竹島そのものを神域とし、安徳天皇の養和元年3月18日(1181)の創建された。

 

これは、1145年三河国司の三河守となった藤原俊成卿が、在任中に未開だったこの地の開拓に当たられた際、風光明媚で江州(滋賀・琵琶湖)竹生島によく似ているこの島に竹生島弁才天、則ち市杵島姫命を勧請せられた事が創祀。

 

常に清波に島脚を洗われ、自ずと禊ぎ、不浄を近づけないようで、真の霊境との名の通りであり、養和(1181)の頃、俊成が当社奉斎の神境に定めた。

 

「龍神略縁起」よると、藤原俊成卿の夢で「この海底で年月が経過すること数百年に及んでいる。この島に社を建て私を祀るならば、永く守護をあたえよう」とお告げがあり、その通りに海底に網を入れさせたところ、龍神の御尊体が現れたのが、竹生島弁天勧請のきっかけとなる。

 

竹生島弁財天を勧請した際、雑木林におおわれ竹がなかったこの島に、竹生島の竹を2本根こそぎ持ってきて、ご神体として植えたことから『竹島』と名付けられたとも伝わる。
現在でも、その名残か、僅か400メートルしか離れていない陸地とは全く異なる、竹島のみでしか生息せぬ暖帯林特有の照葉広葉樹の社叢をなし、65科238種の自生植物が確認されており、竹島の不思議の一つとされる。

 

鎮座当時、橋は無く、一般的に参拝に訪れのは困難とされ対岸で竹島の参道の対面に当たる篠津に遥拝施設を設けた。
宝永2年(1705)に旱魃による大飢饉が発生すると当時の領主松平義尭が雨乞い祈願を篠津遥拝所で行い、見事念願成就したことから和歌の奉納と元文3年(1738)には石鳥居を寄進し、その後、松平守惇は遥拝所の造営を行った。

 

対岸とは約400m離れており、現在では長さ387mの竹島橋によって結ばれていて、徒歩で渡れるようになっている。
夜になるとライトアップされ、昼間とは違う神秘的な光景を楽しむこともできる。
八百冨神社に架かる竹島橋は「縁結びの橋」とも呼ばれ、渡り方の暗黙の掟があるとの事。
恋人や夫婦などカップルで渡る時は「相手としっかり手をつないでくっついて渡らないといけない」、「渡りきるまで振り返ってはいけない」と縁結びのご利益を頂けるらしい。
 
御祭神は、竹島弁財天とされる市杵島姫命であり、開運・縁結び・安産の御神威が誇る。
日本七弁財天のひとつであり、開運・安産・縁結びの神を祀る。
本殿にはお金がたまるとされる「福種銭」があり、これを使うことによって福徳やご縁が戻ってくるらしい。

 

鳥居をくぐると101段の石段があり、これを登った先には5社の本殿、摂末社が鎮座する。

 

一番最初に見える神社が「宇賀神社」で、御祭神は穀物の神様で商売繁盛の神・宇迦之御魂神。

 

宇賀神社の後方に鎮座するのが商売繁盛・経営に御神威を頂ける「大黒神社」と、八百富神社を創建し91歳まで長生きした藤原俊成を祀る「千歳神社」が鎮座し、長寿・勉学の御神威を頂ける。

 

島の中心に「八百富神社」の本殿が鎮座、御祭神は市杵島姫命で、開運・縁結び・安産の御神威が頂ける。
丁度、島の中心たる八百冨神社本殿に到着したと同時に、正午のチャイムが鳴り響き、神の有難きお導きを感じた。

 

「八百富神社」から更に奥に進むと「八大龍神社」が鎮座する。
こちらの御祭神は豊玉彦命で、海の神様・雨乞いの神様であるが、家内安全・夫婦円満・厄除けの御神威を頂ける。
これら5社すべての神社を参拝すると、一生の幸を頂ける。

 

また、竹島の最南端の龍神岬からは雄大な海が見渡せ、絶景が広がる。

スピリチュアルなパワースポットなるものの、神聖な氣を感じる。

 

神社でお受けできる護符として、特に知られるのが、運がよくなる、宝船の版画だ。
室町時代の頃は枕の下に敷いて眠ると良い夢が見れると信じられ、江戸時代より庶民に広がった。
今では額に入れ、家族の集まるところに飾って祀るのが良い。
 
#ご利益 #縁結び #スピチュアル