今日は茶道稽古。

 

お濃の点前。

雨が酷いので、今日も洋服。

稽古場には消毒液も完備され、安心してお稽古頂いております。



しかも、最新式の自動噴霧式!

 

それはさておき、今の御時世、お濃の飲み回しの稽古が不可なのですが、とはいえ、利休居士以来の伝統を絶やす事はなりません。

よって、「コロナだからお濃稽古はやらない」ではなく、私の社中ではお濃稽古の飲み回しの作法の稽古を、お一人分のお濃茶を点てて頂き、飲み干された茶碗を回してエアでして頂く事によって続けております。

 

お濃茶の場合、亭主と客双方の点前、作法はより難解、煩雑なものとなり、濃茶点前の完璧に出来る講師が少ないのも現実であり、それではならぬと思います。

お抹茶の量が少ない一人分のお濃茶を丁度よく練るのは、長年に亘る不断にして相当な熟練された感性が肝要となります。

僅か一滴のお湯加減によって、お濃茶の練り具合に差異が出るからですが、ここは妥協を許さず、この至難の技をお弟子さんには体得して頂くべく、敢えて一人分のお濃茶を点てて頂くようにしています。

 

表千家の作法の伝授は、口伝が基本となります。

この、僅か一滴の感性は、果てしなく繰り返される稽古によってしか養う事はできず、これこそが、稽古が口伝たる所以であると心得ますし、古えと何一つ変わらぬ作法を繰り返し繰り返し行う事でしか体得できぬ日本民族の神観念にも通じるものと確信しております。

 

時代により変わりゆくものがある一方で、絶対に変えてはならぬ根本があります。

たとえ時代遅れと言われようと、頭が硬いと言われようと、これは私にとって決して譲れぬ茶人としての一分なのです。