以前よりご縁をいただいております大分県竹田市前市長・首藤勝次様より、岡藩第13代藩主・中川久成公の楠公廟の漢詩書が新たに見つかったという、楠公崇敬史に於ける大きな新発見のご連絡を賜りました。
お写真は、首藤前市長様がお送りくださったものです。
 
 
勤皇の志篤き岡藩3代藩主・中川久清公は、後南朝ゆかりの熊澤蕃山先生を迎え、藩内の制度改革や養蚕等の産業奨励を行った名君。

 

また、元弘の変時、官軍側として戦った岡城を擁している地縁神縁もあり、楠木正成公を篤く崇敬し、岡城内にて大楠公の御神霊を奉斎し、楠公殉節日たる5月25日を祭日と定めました。
こちらは昨年7月に竹田市の楠公社へ調査研究へ行った時の記録です↓

 
岡城とは、瀧廉太郎が作曲した『荒城の月』のモデルとなった事で知られるようになった標高325メートルの高さにそびえ立つ堅城ですが、この城内にて大楠公ご神霊を奉斎した岡藩初代藩主の志を継ぎ、岡藩では楠公崇敬が継承されていきました。
 
 
 
 

 

 湊川神社創建の同年の明治5年(1872)4月8日、岡城中より、中川家歴代藩主を奉斎する中川神社傍の拝田原・常盤公園に楠公社は遷座され、その後、明治8年(1875)9月25日、玉来町の勤王家が請願、久清公墓所の鎮まる霊峰・大船山を望む現在の鎮座地である吉野山山頂に遷座しました。
 
この社殿は今も尚、竹田市内の吉野山山頂に鎮座しています。

 

また、元治2年(1864年)には、岡藩士らによって、湊川楠公墓碑の傍らに、石燈籠が献納され、今も湊川神社内大楠公墓碑の傍にその事蹟を残し、往時の岡藩の篤い楠公崇敬を今に伝えています。
 
前回の竹田市訪問にて大変お世話になりご厚遇を賜りました事に引き続き、この度、素晴らしい発見のお報せを賜りました首藤前市長様、そしてこの度のご縁のお導きを賜りました弊会会員で絵師・高橋亮馬様に、心より厚く深謝御礼申し上げます。
誠にありがとうございました。