本日の大河ドラマ『青天を衝け』にからみ、先程より多くの方々から「今日の青天を衝けを観たら大楠公出てこられましたよ」とのご連絡を頂き、感無量の思いに浸っております。
多忙なこの頃の為に、『青天を衝け』は録画したものを追っかけ視聴している状態で、皆さんより少し遅れて観ておりますが、水戸に於いて、後期水戸学の要として藩主藩士らに楠公精神を説いた藤田東湖先生が出てこられた回から、実は私、既にトランス状態に入っています。
楠公顕彰と水戸学とは切っても切れぬ強い結び付きがあるのです。
皆様からの本日の大河ドラマのご感想から、恐らくは薩摩藩士で湊川神社初代宮司を務めた折田要蔵の登場のからみ辺りかな?と大体のドラマ内容の進行状況が把握できましたので、今から、本日の回の録画を観るのが楽しみでなりません。

そこで、水戸研修旅行の回顧を暫し。
今後、ストーリーの中心となるであろう天狗党の乱について参考にして頂ければ幸いです。



水戸訪問の旅にて、思い出深き地として、まずは幕末の水戸の天狗党にまつわる回天神社。
「回天」とは、藤田東湖先生の著作である「回天詩史」に由来し、大東亜戦争末期には、ご存知の通り、人間魚雷「回天」の名の由来となっています。

朝廷が望む横浜港鎖港が、幕府によって実行されない事に業を煮やした藤田東湖先生の遺児である藤田小四郎らは、時の将軍であり、水戸藩先代藩主・徳川斉昭の実子である徳川慶喜に横浜港の即時鎖港を要求すべく、1864(元治元)年、水戸藩内の尊攘激派を募って筑波山で挙兵、武田耕雲斎を首領に迎え、江戸を目指しました。
これが世に言う「天狗党の乱」。
彼らは、同じく横浜港鎖港を主張していた慶喜を頼り、西上、京都を目指し行軍しますが、その途上、越前国辺りに差し掛かった折、天狗党が頼みとしていた慶喜自身が、実は天狗党追討の総大将となった事を知り、大義名分を失ってしまいます。
更に、追討軍によって行く手を阻まれ、山中の険しい道無き道を行軍したものの、遂に降伏。


彼らの身柄を当初に預かった加賀藩は、彼らの尊皇の志に打たれ丁重に厚遇しましたが、間もなく、幕府に身柄が引き渡されてから待遇は一変、捕えられていた823人の天狗党らは、敦賀にあった十六棟の鰊蔵へ押し込められ、真冬の厳寒期に一月あまりの間、暖も無く不衛生な環境下にて残虐極まりない扱いを受けました。
挙句、翌年2月、僅か5日の内に、武田耕雲斎や藤田小四郎を始めとする352名が首を打たれ、その首はそのまま穴を掘って無造作に埋められました。
実際に、その惨劇を祖父母が目撃したという敦賀の「水戸烈士遺徳顕彰会」の中瀬実会長から、目撃された処刑の様子についての詳細を、数年前にお聞きした事がありますが、恐らくは、これ程の大人数が処刑という形で虐殺されたのは、日本では他に類を見ぬものであったと思われます。
尊皇の大義を掲げて死力を尽くした末の、天狗党の余りにも悲惨な最期でした。
彼らの首が埋められた敦賀の土塚には、後に松原神社が建立されました。
現在、敦賀にあった鰊蔵の一棟が水戸へ移築されており、回天館として、天狗党の資料を展示しています。


回天館内部には、当時押し込められていた天狗党の人々が書いたであろう「叶う」の文字が壁の数箇所に遺されいます。
中には、自らの血で文字を書いた形跡もあり、彼らの決死の思いにみちた悲痛な叫びが聞こえてくるかのようでした。


また、館内には、彼らが崇敬してやまなかった大楠公の墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」の拓本も。
茨城には、今でも、天狗党の末裔の方々がいらっしゃいます。
「大義と正義とは違う」という天狗党の末裔の方の言葉は、心に深く残っています。
それこそが「忠義」に命を捧げた侍の心です。



楠公精神を掲げて命を捧げ、志半ばで散って逝かれた多くの水戸烈士英霊に、供花をさせていただき、慰霊の誠を捧げさせていただきました。
必ずや、彼らの思いを後世にしっかりと伝えてまいります。
回天館から出ようとすると、入口マットから両足が離れなくなり、驚きました。
彼らの御霊が引き留めたのかも。。と言われ、きっとそうなのかも。。と当時思ったものです。



そして、忘れてならぬのは常磐神社。
徳川光圀公、徳川斉昭公をお祀りする常磐神社では、常磐神社の寺内宮司様、矢作禰宜様、鹿嶋神社の宮内宮司様から多くを御教授を賜りました。



先祖・大楠公とゆかり深き常磐神社様に、再びお参りさせていただき、また、寺内宮司様と再会させていただけました事に感激もひとしおでした。



筑波海軍航空隊記念館の実現の為、また、映画『桜田門外の変』等数々の映画製作等、多くのプロジェクトの中心となり大プロジェクトを実現された茨城県庁の橘川栄作様とのご縁も、今も尚、大切な絆となっています。



筑波海軍航空隊は1934(昭和9)年、霞ヶ浦航空隊友部分遣隊として開隊され、1938(昭和13)年に独立、筑波海軍航空隊となりました。
戦闘機などの操縦訓練を行う海軍の練習航空隊でしたが、アジア・太平洋戦争末期には特別攻撃隊も編制され、「特攻」の訓練も行われました。
2013年、公開された映画『永遠の0』の物語上の舞台、撮影地として注目が集まり、現存する海軍航空隊司令部庁舎内を、関連資料の展示と共に期間限定公開され、2018年、筑波海軍航空隊関連資料などを展示する展示館を旧司令部庁舎に併設、その後、市の指定管理を受け記念館事業が開始されています。



もちろん、県庁の皆様や茨城県の重鎮の皆様が、私の為に、「ケンミンショー」で話題となった「酒趣」さんで開いてくださった歓迎会も忘れられぬ大切な思い出。


「ケンミンショー」で大好評を博していた「まるごとメロンソーダ」を、オーナーの井坂紀元さんの温かいおもてなしを賜りつつ、ご馳走になった事をまるでつい昨日のように思い出しております。



千葉県佐原の香取街道沿い伝統建築物保存地区の「茶屋花冠」のNHK『あさイチ』でお馴染みの松本栄文さんのおもてなしも感動でした。

当時の茨城訪問の旅にて、大変お世話になりました、楠公研究会顧問の塩原様、水戸県庁の松崎様、橘川様、常磐神社の寺内宮司様、前石岡副市長の根本様、アナウンサーの石森様、天狗党の御末裔でいらっしゃる川又様、元神主様の高貫様、まるごとメロンソーダーを賜った井坂様、潮来市の丹野様、さわやかタクシーの山本様、香取市の角田様、佐原東関戸区の小森様、佐原囃子保存会の菅井様を始めとする佐原東関戸区の皆様、茶屋花冠の松本様、水戸と佐原の皆様に改めて感謝の尽きぬ思いです。
今般、皆様から『青天を衝けを観ましたよ』というご連絡を頂きました事を受け、改めて、水戸、佐原にて学ばせていただきました事に深謝しつつ、今後も尚一層、楠公崇敬の篤き精神を全身全霊を以て伝えていく事を誓いました。

そして、現在のコロナ禍が1日も早く収束する事を祈りつつ、次回の水戸ご訪問を心より楽しみに致しております。
※コロナ禍前の写真です