南北朝時代最大のミステリーと言えば、「大塔宮護良親王捕縛事件」であろう。
後醍醐天皇の皇太子ではなかったものの、皇子を臣民が弑する等、近代の感覚で言えば大逆罪に相当する、許されざる蛮行である。
 
建武政権下で最も優秀な人物であった大塔宮護良親王をライバル、危険視した足利尊氏は、親王に征夷大将軍の座をあっさり奪われてしまった事を恨み、親王を失脚させる火種を仕込んだ。
そう。
讒言である。
讒言とは、組織内の人と人とを仲違いさせる事や
分断工作を目的として使われる、とある人物を陥れる為につく虚偽の嘘をキーマンに吹き込む蛮行。
そこに、次の天皇・後村上天皇の生母・阿野廉子も1枚かんでいる。
かくして、大塔宮護良親王は、易易と捕縛され、鎌倉にいる尊氏の弟・直義にお預けとなり、鎌倉の洞窟様土牢の中で半年間に亘り、写経のみをして過ごした。
その内に、鎌倉幕府の残党らが起こした中先代の乱のどさくさに紛れ、直義の命によって、大塔宮護良親王は暗殺されてしまう。
 
この一連の事件のうち、捕縛の実行者の中に、名和長年がいた事は痛恨の極みである。
 
私もつい最近、頼まれてお繋ぎさせて頂いたご縁があった。
そのプロジェクトは、平城京にて大成功を収めた訳だが、実は、プロジェクトの主が私に関して讒言している事が判明したのだ。
 
「山下が〇〇さんの悪口を仰ってました」等と、虚偽の言葉を吐いた、という事が発覚。
他にも、度重なる非礼があり、こちらは時が至れば、それなりの落とし前はつけさせてもらう事となっている。
 
歴史を学べば、融和融和では、こちらが足元を救われる結果となる事は一目瞭然。
もちろん『和』は大切だが、相手にその気がサラサラ無いのであれば、もはや『和』は成立不可能である。