ここに軍神の裔として 楠公の形代たらんとする覚悟について改めて宣明させて頂く。


大楠公殉節以来、楠公精神は日本民族の精神を象徴するイデオロギーとなり、神となった。
大東亜戦争に於いては、菊水紋を背負い、多くの若者が我こそは日本男児たらんと敵艦に突き進み、その尊き命を散華された。
私にはその思いを背負う責任がある事を絶えず強く認識し、自負し、自らを律している。
我が祖・楠公の遺訓に、「もし、我が血脈がたった一滴でも残っているならば、必ず朝敵殲滅の為に尽くせ。もし、己の保身のみを考え、この教えを守らぬ者がおれば、たとえ我が子孫であっても決して許さぬ」とあり、幼い頃からこの遺訓を教えられて育った。

よく何を将来目的として顕彰活動をやっているの?と尋ねられる事がある。
鮪は生まれた直後から泳ぎ続かねば死んでしまうという。
生まれた時から宿命付けられたままに言動し、今、そして未来があるのであり、顕彰活動について何が目的という以前に、それこそが自らの『生きる』という事と同義、それだけである。

先人の尊き御魂を崇めつつ、楠公の裔に相応しき軍神の形代であり続け、先人の思いに少しでも適うべく、これからも微力ながらも精一杯に精進していきたいと思う。