豊後竹田の楠公景仰史を学ぶ為、大分県竹田市へ。

 
竹田市役所商工観光課の後藤様にご案内を頂き、玉来町吉野山山頂に鎮座する楠公社を参拝、取材調査をさせて頂いた。
 
 
 
勤皇の志篤き岡藩3代藩主・中川久清公は、後南朝ゆかりの熊澤蕃山先生を迎え、藩内の制度改革や養蚕等の産業奨励を行った名君。
 
また、元弘の変時、官軍側として戦った岡城を擁している地縁神縁もあり、楠木正成公を篤く崇敬。
岡城内にて大楠公の御神霊を奉斎し、楠公殉節日たる5月25日を祭日と定めた。
 
湊川神社創建の同年の明治5年(1872)4月8日、岡城中より、中川家歴代藩主を奉斎する中川神社傍の拝田原・常盤公園に楠公社は遷座され、その後、明治8年(1875)9月25日、玉来町の勤王家が請願、久清公墓所の鎮まる霊峰・大船山を望む現在の鎮座地である吉野山山頂に遷座した。
 
今般の豊後竹田の巡拝も不思議な出来事の連続であった。
大分県入りした直後、例年よりも遅れていた北九州地方の梅雨明けが宣言、また、調査を終え地元に帰還すると同時に、関東甲信越の梅雨明けが宣言された。
 
また、楠公社参拝の日、境内の白百合が偶然の導きにて満開の時を迎えていた。
白百合とは、幽界の神々からの神託を伝える尊き花とされる。
 
改めて、御神威の畏怖を感じる巡拝となった。
詳しくはYouTube「山下弘枝」よりご覧下さい↓

 
多くのご教授を賜わりました竹田市役所商工観光課・後藤様、記録動画をお撮りくださった高橋様に深謝申し上げます。
 
次稿、北九州地方巡拝報告は続く。