長崎に見た楠公崇敬史〜楠稲荷神社・大楠神社〜 
嘗て、全ての日本人が大いに大楠公を尊崇していたその足跡を、関西から遠く離れた長崎の地で垣間見る事ができた感動のエピソード。 

 

 
 
長崎県随一を誇る巨木「大徳寺のクスノキ」で知られる大徳寺の歴史は、元禄16年(1703)僧・月珍が伊勢町に開創した事に始まる。
宝永元年(1704) 、梅香崎に移転。
また、寛文12年(1672)に大楠公の守護神とされた若宮稲荷神社の御霊を、享保4年(1719)に大徳寺境内に祠を建立し遷座、「梅香崎」を冠して「梅香崎天満宮」と称した。
これが現在の楠稲荷神社となる。
 
 
 
神のお導きか、偶然なのか必然なのか、丁度この日が、楠稲荷神社の例祭日であった事に、大いに驚いた。
 
そして、その傍らにあるのが、長崎県下随一の大きさを誇る、幹回り12.60メートル、樹齢800年の「大徳寺の大クス」。
 
 
大徳寺本堂には聖徳太子の作と伝わる十一面観音像を徳川幕府より譲り受け安置しており、幕府と如何に関わりが深かったかを示している。
 
その後、王政復古による幕政衰退と共に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐にもまみれ、大徳寺の寺勢は大いに衰退、巨大であった境内の全て塔頭は廃せられ「梅香崎神社」と改称せられた。
 
鳥居は、明治元年、大徳寺跡に楠木正成を祭神として新設された「大楠神社」の鳥居で、先ほどの楠稲荷神社とはまた別の神社であるが、楠稲荷神社は大楠公の守護神であった稲荷大神を、大楠神社は大楠公を祭神としている。
 
 
大楠神社の正面には、明治20年の創業以来、この地にて大徳寺焼き餅(梅が枝餅)を焼き続けている老舗「菊水」があり、この辺りの光景は明治時代から全く変わらず、往時を偲ばせている。
 
 
 
 
形あるものが滅しても尚、崇敬なる精神は今も尚しっかりと残り続けている。