後南朝最後の古戦場「御首載石跡」〜南朝の皇胤・自天王〜朝拝式の後に立ち寄った後南朝最後の古戦場「御首載石跡(みくびのせいしあと)」。 長禄元年12月2日(1457年12月27日)、赤松家遺臣らが後南朝の行宮を襲い、南朝の皇胤である自天王と忠義王御兄弟を騙し討って、神璽を持ち去った事件・長禄の変が起こりました。 自天王を襲った赤松家遺臣らを待ち伏せ、頭の中村貞友を強弓で射止めた川上村の郷士で弓の名手・大西助五郎は、赤松一党の手から自天皇の御首と神璽を取り戻す事に成功。 自天皇の御首と神璽を安置しご冥福を祈ったとされる岩が「御首載石」。 元の位置は現ダム湖の近くだったのですが、大滝ダムの建設で湖底に沈むため現在の位置に移され、今もなお、後南朝の歴史を伝えています。