烏の導きに従い、右上の方へ石段を登っていくと、大きな菊水紋の看板が姿を顕わしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大楠神社と梅ヶ崎招魂社の創建当時、多くの参拝客、丸山遊廓の客、芸妓衆らで大いに賑わっていたことから、客をもてなすべく、梅ヶ枝焼餅の店が3軒、営業していたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

梅ヶ枝焼餅の名称は、太宰府天満宮の祭神である菅原道真公の逸話に由来しており、梅の味や香りがある訳ではなく、小豆餡を薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅で、出来上がると中心に軽く梅の刻印が入れられるのが特徴。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな三つのお店のうち、未だに現存し営業を続けているのが、店先に菊水紋を掲げる「老舗 菊水」。

明治20年から続く老舗で、現在では、梅ヶ枝焼餅のお店は「菊水」の1軒だけとなっています。

 

お店の前の大きな菊水紋が一際目を引き、また、店の至る所には菊水紋が!

専用の焼き釜を使い、昔ながらの味を伝えている貴重なお店で、そのお味はふわふわ肉厚のお餅の中に上品な甘味の餡がぎっしり。

薪で炊き、ご主人がつきっきりで仕上げる丁寧に練り込まれた餡を用いて作られ、注文したその場で焼いてくれる創業以来同じ製法を守る昔から変わらぬ貴重なお味が味わえます。

 

 

 

 

 

 

お餅を焼いていただいている間、ご主人と奥様から、昔のお話をお伺いしておりますと、なんと、驚くべき事を知りました。

 

 

 

 

 

 

実は、「老舗 菊水」の目前の大徳寺公園に、明治元年、大楠公を祭神とする「大楠神社」が創建されたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

現在も、公園の入口の鳥居の扁額に「大楠神社」と刻まれたものが残っており、当時を物語っています。

大楠神社創建に大きく尽力したのは、初代長崎県知事・澤宣嘉で、大楠公の御魂は、隣の楠稲荷神社にお祀りされていた大楠公の御魂を御分霊したものだとか。

 

 

 

 

 

 

 

しかも、更に驚くべき事に、なんとこの日、偶然にも、年に一度の楠稲荷神社の例祭日であり、その為に、境内に多くの幟が立っていたという事を「菊水」のご主人からお教えいただき、余りの偶然に、これはもう神のお導きでしかあり得ない事と、恐懼するばかりでした。

 

 

 

 

 

 

 

その大楠神社と共に、戊辰戦争の犠牲者の霊をお祀りする「梅ヶ崎招魂社」も創建され、同時にそういう人々を埋葬する墓地「梅ヶ崎墳墓地」も作られ、1883(明治16)年には、梅ヶ崎墳墓地のみ、新設された佐古招魂社・佐古墳墓地に移転します。

 

 

 

 

 

 

 

また1942(昭和17)年には佐古招魂社と梅ヶ崎招魂社を合祀することにより、旧大楠神社は「長崎護国神社」となりますが、のちに護国神社が移転、現在の城栄町に遷座され、この地には「大楠神社」と刻まれた鳥居だけが残されました。

 

 

 

 

 

 

 

丸山公園から大徳寺公園に向かう道「勅使坂(ちょくしざか)」の名の由来は、1883(明治16)年に佐古招魂社・佐古墳墓地(現・仁田佐古小学校裏)で勅祭(天皇の命よって斎行される祭典)が執り行われた際、天皇の勅使が通るということで整備された道であることから、「勅使道」と呼ばれます。

 

さて、この大楠神社を創建した澤宣嘉は、嘗て、8月18日の政変による七卿落ちにて長州に下った一人。

彼らは、長州への下向の途上、湊川墓碑を参拝、現在の山口県の湯田温泉に逗留し、そこに楠社を創建し、楠公祭を斎行して、王政復古実現を誓っています。

要するに、澤宣嘉もまた、当然ながら、厚き楠公崇敬者であったという事。

実際、湊川神社には、澤自らが笠置の御夢の場面を描いた「御夢」が澤によって奉納されており、その尊崇ぶりは言わずもがな。

 
 

また、旧大楠神社境内には、佐賀藩の楠公義祭同盟の同志で知られる大隈重信の顕彰碑も建てられており、楠公崇敬者たちが、ここに一堂集った事が窺われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近畿から遠く離れた長崎にて、厚い楠公崇敬の足跡を見る事ができ、神々の温かいご歓迎と、先祖の導きに、只只、感謝感激に尽きぬ思いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神道の神々、仏教の仏が垂迹した神々、そして、キリシタンが信仰した神、これらの全ての神を尊重し、温かく受容しているのが、長崎という街。

そこは、神々が降臨する聖地でもありました。

神々と人との間に受け継がれてきた霊統を実際に目の当たりにし、真の信心とは無私の心であり、いずれの神々の心も、その行き着く所は同じ所である事を悟りました。

 

さて、長崎の一連の旅は、いよいよフィナーレ。

次回は、旅先のちょっとした小噺や、グルメ情報等をお届けさせていただきます。