稲佐山登拝前に、その山麓に鎮座する淵神社へ参拝させていただきました。
 
 
 
鳥居前の被爆のクスノキの大木がシンボル。
 
 

 
 
当社の創祀は不明ですが、戦国時代には既にこの地に「妙見社」が創建され、そこには弁才天が、背後にそびえる宝珠山の祠には虚空蔵菩薩と玄武神が祀られていたそうです。
しかし、戦国時代に長崎が寄進によってイエズス会領になると、これらの祠は、キリシタンの焼き討ちにあい、破壊されてしまいました。
 
廃墟のまま打ち捨てられていた妙見社跡の惨状を憂いた開基・龍宣が、江戸時代初期の寛永11年(1634)に「宝珠山万福寺」を開山。
さらに13年後の正保4年(1647)にこの地に弁才天を合祀し、「稲佐弁天社」として祠を再建します。
 
明治元年(1868)に、明治新政府の神仏分離令により、弁財天が垂迹する市杵島姫命を始めとした宗像三女神を祭神として、現在の社号「淵神社」へ改称され、今に至っています。
ちょうど神社の鎮座する辺りが、海の入り組んだ所である事から、「淵」と表現されたものと思われます。
 
境内社で特に興味深いのは、桑姫神社。
ご祭神は、戦国時代末期、淵神社の周辺の村で桑の木を植え、蚕の飼い方を広めた桑姫という女性で、その生前の事蹟によって死後も尚多くの人々に尊崇され、神としてお祀りされる事となりました。
実は、この桑姫は、キリシタン大名として有名な大友宗麟の孫娘として、洗礼を受け「マセンシア」という洗礼名をも持っていました。
敬虔なキリシタンであった姫もまた、神社は寛容に受け入れ、御祭神に。
桑姫神社はキリシタンを信仰していた人物が御祭神という、世にも稀な神社であり、これこそが真に寛大なる慈愛に満ちた神のお心に違いありません。
改めて、本来我が国が持つべき博愛の国柄を、日本人として誇りに思いました。

 
 
境内奥には、嘗ての鎮護の神が坐した稲佐山と宝珠山を遥拝するべく、祠が建てられているのですが、それぞれの干支に分かれている所が、なんとも嬉しい神のご配慮。
 
 
 
 
淵神社参拝を終えて、いよいよ稲佐山へ登拝いたします。