熊野三山の一社・熊野速玉大社へ。
境内後方が権現山となります。
元始、熊野速玉大社境内の後方に位置する権現山磐座・ゴトビキ岩(現在の神倉神社)に、熊野三神(家都美御子大神(ケツミミコのオオカミ)・熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ)・熊野夫須美大神(ウマノフスミノオカミ))が降臨されました。
 

 

 

 

 

熊野の神々を勧進するため、景行天皇の御代に創建されたのが、ここ熊野速玉大社のご由緒。

 

 

 

 

主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)、所謂、伊邪那岐命・伊邪那美命の夫婦神。

 

 

 

 

熊野速玉大社は、熊野三山の中で最も海の近くに鎮座しており、神武天皇は、この地の近くに上陸されたようである事も加味すると、明らかなる当社の重要性が窺われます。

 

 

 

 

境内には、平重盛手植えとさらる天然記念物指定の樹齢1000年のナギの巨木が聳えており、あらゆる困難を薙ぎ払うご利益があるとして、多くの人々からの崇敬を受けています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まつりごとが神徳ではなく武が中心となっていく前後の帝の熊野御幸が抜きん出て多い事、そして明徳の御代に奉納が集中している事は、我が国の形を考える上で大いに着目すべき点だと考えます。

 

 

 

 

では何故、我が国の国體において、熊野が重要な地であるのか。
その根源を拝するために、これより熊野那智大社へ向かいます。