建武中興十五社の一社・金ヶ崎宮。

 

 

 

 

 

後醍醐天皇の皇子・恒良親王と尊良親王がお祀りされています。

 

 

 

 

 

田村宮司様から、神社の歴史など、多くをご教授いただきました。

 

 

 

 
この地が舞台となったのは、大楠公が湊川で戦死した翌年の事。

 

 

 

足利方に追われるように、新田義貞は、同じく南朝方の気比神宮の協力を得つつ、恒良親王と尊良親王を奉じて、ここ金ヶ崎城に籠り戦いました。
しかし、兵糧攻めによって力尽きてしまいます。
落城に際し、尊良親王は脱出を勧めらますが、将兵らを見殺しにできぬとして、新田義貞子息の義顕を始めとした味方将兵らと共に自害、恒良親王は脱出したものの足利方に捕えられ、幽閉先の京都にて、足利によって弟宮の成良親王と共に毒殺されたと伝わります。(※諸説あり)
 
数年前の大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」の一舞台ともなった事からか、戦国期の金ヶ崎の戦いについて、多く掲示されています。

 

 

 

 

 

 
また、近年では、恋愛成就のご利益があるお宮とされています。
これは、男女の告白の場ともなる「花換まつり」の影響で、春爛漫の桜のもとで、男女が互いに花を交換し、想いを伝えるというロマンティックなお祭りによるもの。
明治40年代に始められたこのお祭は、一旦途絶えましたが、近年、田村宮司様が再び復興され、若い人たちから好評を博しているのだとか。

 

花換まつりの人気によって、南北朝の事蹟についても、より多くの若者たちに興味を持っていただける発火剤となってくれる事を願ってやみません。

 

 

フォローしてね…ペタしてね