「松山千春 『我家』に思うこと~松山千春 全作品解説85~」S2259

 

松山千春 DATA BESE 総合TOP PAGE NF   

アーティスト別 LIVE DATA BESE 総合TOP PAGE NF 

 

◇更新履歴

V1.0:2014.04.09 初稿

V1.1:2019.10.06 最新エディタにて記事を作成、旧記事と差し替えおよび 新規、記事と歌詞を掲載

V1.2:2019.11.14 所有CD画像を掲載

V1.3:2020.10.26 ラジオでのコメントを追記

V1.5:2023.07.06 追記

V1.6:2023.07.06 追記

 

■ 「我家」編曲者:夏目一朗

2008年5月21日発売の62枚目のシングル。

 

◇松山千春選曲ベストアルバム『松山千春の世界』 DISC-4の15曲目

 

◆所有CD画像

◆レコーディングミュージシャン

 

◆2023.7.6 夢野旅人

2023年春のツアー。2019年春の本編ラストに続いて、今回も本編ラストで全公演歌われました。

 

「我家」を聴いていて思ったこと。

「我家」は、松山千春の原点である家族を描いた集大成的な曲であり、またメッセージテーマとしても集大成的な内容である。

 

千春の父、母、姉、弟さんたちが他界してしまった今、もう、こういった歌は出来ないんだろう。

 

もっと云えば、千春にとって新たに歌うべきことが、見つからないように思えた。

 

ゆえにコンサートにおける選曲もMC内容も「我家」が本編ラストだった2019年の春からさして変わらない。

新たなる明確なツアータイトルも出してこない。

 

でも年を重ねるとは、そういうことで、最終的かつ普遍的テーマ、誰もが自身のルーツである家族、愛ににたどり着いということなのだろう。

そんなことを想いながらコンサートを観てました。

 

ツアー終了後の7月2日放送のラジオ「松山千春のON THE RADIO」。

春のツアーを振り返りながら、全曲、春のツアーで歌われた曲がかかりました。

 

1曲目に、春のツアーのオープニング曲だった「愛は全て」がかかり、2曲目にほぼ一部ラストの「祈り」、そして3曲目に二部の一曲目「STANCE」、そして、最後に「我家」がかかりました。

 

---

【追記】

コンサート、ホントに春、半年間ありがとうございました。最後はコンサートでも最後に歌った松山千春「我家」。

どうぞお元気で。

 

◆2020.10.26 夢野旅人
2020年10月25日
放送 松山千春ON THE RADIOでのコメント
俺な、今、札幌の北山さんというところの歯医者さんに、厄介になってるんだけど。

旦那さんがな、お医者さんで、奥さんが歯科衛生士をやってるんだけど、小樽出身なんだ。

で、話聞いていたら、すごい貧乏で苦労したんですよ。

みたいな話聞かされて、だよな。

 

ウチもとんでもない貧乏だったし。ま、それでも父さん、母さん、姉ちゃん、弟。ま、あの生活が、今考えると幸せだったんだろうなと思うし。ついつい昔のことを考えてしまうっていうのが、やっぱり自分が年をとったということじゃないかなと思いますけどね。でもあれがあったから今日があるわけだからな。毎日楽しいよ。是非とも、う~ん、明日も来週もみなにとって楽しい毎日であってもらいたいと思います。体調に気をつけられて。
今回の最後の曲は、松山千春「我家」。

 

◆2019.10.06 夢野旅人

2019年9月29日放送 松山千春ON THE RADIOでのコメント

ま、今回はうちのバンドのエレキギター・好永立彦 55歳、急死ということで。

ああ、アイツとうーん、もう二度とな、ライブすることないんだと思ったら、寂しいなという気持ちになりますしね。

やっぱり周りでな、若い奴が、うーん、亡くなるというのは、なんか理不尽な気がしてさ。

ま、どうせ俺たち、理不尽な世の中で暮らしているわけだからな。

それを受け止めて、穏やかな、な、そして豊かな毎日を送っていかなければいけないんだな、と思いますけどね。

 

ま、形はどうであれ、タツ。

立派に往生しろよ。、 な、この世に未練はあるかも知れないけど、うーん、俺たちも、お前の冥福を祈るし。

あぁ、去年か? うん? 「我家」、あっ今年の春か。

うーん、二部の最後に歌ったのはな。

な、タツのアコギのソロがあってな。

いつも俺は「タツ、失敗するなよ。 失敗したらお前、ギター一本の所だから、みんなから笑われんど」と行っていたタツが亡くなりました。

 

どうか皆さん、一週間体調を壊さず、寒暖さ色々あると思いますけど、元気にまたこの番組でお逢いしたいと思います。

「ON THE RADIO」今回最後の曲は、私がこの曲をやるときは必ずターーツと言っていました松山千春「我家」。

 

◆2014.4.9 夢野旅人

北海道を離れずに、デビュー前から故郷至上主義を貫いている松山千春。

「北海道は俺を生んでくれた故郷であり原点」

道内の松山千春ファンは、同郷に誇りを感じ、道外の松山千春ファンは北海道を第二の故郷のように憧れを抱いた。

少なくとも、自分はそう思う。

そして、北海道厚生年金会館はファンにとっては神聖な場所であり、松山千春が生まれた北海道・足寄町は、神聖な土地である。

 

道外に住む、中高生だった頃の自分にとって、足寄は天竺みたいな存在だった。

部活があったから、夏休みといってもなかなか自由がきかない。

初めて足寄の地に立ったのは、1982年の夏でも、1984年の夏でもない。

1986年8月9日。 

10th メモリアルコンサートの翌日。

 

当時、国鉄の足寄駅を背にして町役場へ向かう道を右折してしばらく行くと千春の実家があった。 向かいの土地は駐車場。 観光バスが立ち寄るスポットにもなっていて賑わっていた。

「ここが千春の実家、生まれ育った町。僕が着たくて夢にまでみた町。その感動は今でも忘れられません」

10年後の日本武道館で付き合いの始まった友人も、その日、足寄にいた

 

1995年秋に初めて足寄に訪れた友人も、「ずっと足寄に行くのが夢だった」と言っていた。

自分もあの日、彼らと同じ気持ちだった。


松山千春「我家」。

~夕暮れの街 駅前通り 我家は そこを 右に曲がれば~

~役場の 横に 灯りし我家~

 

千春が幼少期に暮らしていた家は、現在の場所ではない。

役場のすぐ横で、本人の言葉を借りれば物置小屋のような家だったという。

同級生は絶対に、家に連れて来なかったという。

 

俺はコンプレックスの塊だった。

俺は春が嫌いだった。

俺んちはほんとポロで人が住めるような家じゃなかったかもしれない。

春になると雪解け水が床まで入ってきて長靴を履いて一日中過ごした。

お客さんが来れば「どうぞ土足のままで」と案内した。

 

水道管は冬になると破裂して、よく役場にバケツをもって水をもらいに行った。

リヤカーを引いたオフクロと、よくゴミ捨て場に真鋳とか銅線、空き瓶を拾いに行った。

帰り道、同級生とあったら恥ずかしいと感じた。

コンプレックスがどんどんたまっていった。

 

でもどんな暮らしでもよかった。

親父がいて、オフクロがいて、姉貴がいて弟がいて・・・。

と、千春は1984年秋のツアーで語っている。

 

~貧しさというのは 愛を知らないだけ
空しさというのは 夢を持たないだけ

生命を輝け 満天に~


貧乏な日々の暮らしの中で抱くいくつもの不安や葛藤。

少年だった千春は、いつも自分自身にそう言い聞かして、明日を夢見ていたのではないかと思う。

 

「現在の日本は、帰るべき我家を見失っているのではないだろうか」

リリース時のツアーで千春はこう語っている。

 

この曲を聴くと、幼いころの松山少年の夢や憧れ、心情を思い浮かべてしまうのです。

そして、生活がどんな状況であろうと、灯りがともる我家があることは、それだけで幸せなことだと思うのです。

 

◆歌詞及びオフィシャル動画・音源

 

夕暮れの街 駅前通り 我家は そこを 右に曲がれば
夕暮れの街 一人で帰る 見上げた星は 光りきれない

この先この僕に 何が出来るのだろう
いくつもの不安を かかえたまま今日も
終りを告げてく さよならと

夕暮れの街 駅前通り 役場の 横に 灯りし我家
貧しさというのは 愛を知らないだけ
空しさというのは 夢を持たないだけ
生命を輝け 満天に

貧しさというのは 愛を知らないだけ
空しさというのは 夢を持たないだけ
生命を輝け 満天に 

夕暮れの街 駅前通り 
役場の 横に 灯りし我家 灯りし我家

 

◆ 松山千春全作品に思うこと~全作品解説2005-2009 インデックス10

フォローしてね…

 

 

 

N現在、以下の検索ランキングにエントリーしています。
よかったら、アクセスして頂けると嬉しいです。

一日一回、ライキングポイントが加算されます。
よろしくお願いいたします。
  
  にほんブログ村     
    

アーティスト・グループ(音楽) ブログランキングへ
---------------------
YUMENO BLOG ~愛のうた:愛した季節の薫り  From the 1960s to 2020s Music Diary notebook~ 夢野旅人