「松山千春 『勇気ありがとう』に思うこと~松山千春 全作品解説72」S2230

 

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◇更新履歴

V1.0:2014.3.25 初稿
V1.1:2014.4.01 松山千春選曲ベストアルバムの収録有無を追加
V1.2:2015.2.23 ミュージシャンを追記

V1.3:2015.3.24 文章を追記

V1.5:2022.2.14 歌詞の追記及び是正

 


■「勇気ありがとう」編曲者:飛澤宏元

1995年11月1日発売のアルバム『勇気ありがとう』5曲目/全10曲


◇松山千春選曲ベストアルバム『風景』 DISC-2の14曲目

 

◆レコーディングミュージシャン(楽曲個別ではなく『勇気ありがとう』全体のクレジット)
01. ギター(EG): 松原正樹、是永巧一、土方隆行

02. ギター(AG): 笛吹利明、土方隆行、古川昌義

03. ベース: 岡沢茂、美久月千晴、岡沢章

04. ドラム: 島村英二、渡嘉敷祐一

05. キーボード: 大石学、エルトン永田、小野澤篤、飛沢宏元

06. パーカッション:木村"キムチ"誠、菅原裕紀

07. ストリングス:KATOH JOE(ソロ)、TOMODA strings
08. サックス:土岐英史

09. sys.OP:渋谷年治

 

◆2015.3.24 夢野旅人
2004年10月23日。 

この日、新潟は、新潟県中越地方震源とする新潟県中越地震の災害に見舞われた。その年の秋のコンサートツアーの新潟公演は3日後の26日だった。

 

翌年、2005年秋のコンサートツアー。3本目の新潟県民会館まで、本編のラストは「時計」

だった。


翌日の10月14日、新潟県、柏崎市市民会館。

本編ラストが、「時計」から「勇気ありがとう」に入れ替わった。

 

2部の後半、MCの最中。

突然、前列にいた女性がステージ前に歩み寄り、千春に話しかけ何かを手渡した。

彼女が自席に戻った後、千春は観客に説明した。

 

「彼女な、去年は、震災があってコンサートに来られなかった。やっと落ち着いて、こうしてコンサートに来られるようになった。千春さんも気を付けてくださいと、御守りを戴いた(要約)」

 

と、話し御守りをテーブル上においた。

コンサートは進み本編ラストの「勇気ありがとう」を歌い終えた後奏。

御守りをズボンのポケットにいれた千春。

ステージを去る際、客席の彼女に分かるよう、ポケットから御守りを取り出しながら会釈した。

 

その光景をみたとき。

さすが千春だなと思った。

千春のファンでよかったと心から思った。


去年、戴いた井上陽水のライブリポート。

そこで、「浜田省吾がいう『ライブはコミュ二ケートできる幻想』という発言を強く感じたことはなかった」と綴られています。

 

確かに、浜田省吾がいうとおりなのでしょう。
けれど、この柏崎公演を見て、

いや、松山千春のライブを見続けてきて思うのです。

 

松山千春のライブには、それは当て嵌まらないと。著書「足寄より」で、コンサートは語らいと述べている千春。
それは、今でも変わっていない。

少なくとも、「ライブはコミュ二ケートできる幻想」などとは微塵にも思わないはず(勿論、客は、どんなことをしても許されるとは思わないけれど)。

 

そこが、浜田省吾や他の演奏重視のミュージシャンとの大きな違いなのでしょう(本来、ライブなのだから、いい演奏を、最高のプレイをする。演奏重視が当然なのたが)。

 

僕にとって、この日の、柏崎公演は、松山千春の人間性と、彼のライブの本質を再確認した日でもあります。

 

あと、本編ラストを「時計」から、「勇気ありがとう」に入れ替えた理由。

推測ではあるけれど、前年に、新潟県中越地震という災害があり、一年後、新潟に訪れた。

 

そして、千春は伝えたかったのであろう。

 

~辛いことも苦しいことも全て受けとめ
勇気 
大きな

どんなものにも負けない 

勇気 ありがとう~

と。

◆2014.3.25 夢野旅人
アルバム『勇気ありがとう』と製作期間は1995年7月17日から8月24日。

発売日の6日後の11月7日 午後6時24分に松山明さんが他界する。

 

千春は、その週のラジオで明さんのことにふれ、最後にこう語った。

 

「自分は松山明という親父を、親父の生き方を尊敬し、また偉大だと思っています。まだまだ息子は父をこえられずにいると思います。これから松山明をこえるように、自分もがんばりたいと思います」。

 

その後のライブにおいて 「勇気ありがとう」について語っている(要約)。

 

「通夜から葬式にかけて長男ということもあり涙は見せなかったが、火葬場でこれで最後となるんだなと思ったら涙がこぼれた。

 

葬儀の最後の挨拶で、自分はこう話した。

親父が他界し、『松山千春の父、死去』とか新聞に書かれる。松山千春の親父が死んだと書かれるわけだけど、違うんだ、俺は親父の息子。 松山明の息子。 俺はあくまでも父さんの息子であって、俺の父親が死んだという言われ方は好きではない。

 

お世話になった足寄町の人たちには、松山明という一人の男が死んだと捉えてください。

 

長い闘病生活。 痴呆症で俺のことも、しまいにはおふくろや姉貴までわからないという状態だった。 そんな親父がだんだん死期が迫っているなと感じた時期に『勇気ありがとう』という曲を書いた。

 

父さん、ありがとう。

この世に産んでくれて、北海道足寄に産んでくれてありがとう。

歴史に残るような大きな仕事をしたわけではないけど、自分はこれからも、ずっと父さんをいい手本に、次の代、次の代へと語り続けていきますから。そんな思いをこめて作った歌です」。

 

~貴方をもっと 感じていたい
幸せとか 不幸せとか 見向きもせずに~
~辛いことも 苦しいことも 全て受けとめ
勇気 大きな どんなものにも 負けない 勇気 ありがとう~

 

親の背中に勇気を感じて感謝する。

当たり前のように感じるが、これが、なかなかどうして難しい。

特に若いと、

身近な存在だからこそ、見落としがちだったりする。

 

なのに千春は、幼い時分からそのことを感じ取っていた。

言葉にしていた。

歌にしていた。

そんな彼に、尊敬の念を抱かずにはいられない。

この歌詞にそう思うのです。

 

◆歌詞

貴方を強く 感じていたい 

いつの時も ただ ひたむきに生きる姿を 

貴方を強く 感じていたい 

いつの日にか たどりつける 夢と信じて 

 

勇気 大きな どんなものにも 

負けない 勇気 ありがとう 

 

貴方を もっと 感じていたい 

幸せとか 不幸せとか 見向きもせずに 

貴方を もっと 感じていたい 

辛いことも 苦しいことも 全て受けとめ 

 

勇気 大きな どんなものにも 

負けない 勇気 ありがとう 

勇気 大きな どんなものにも 

負けない 勇気 ありがとう

 

◆G. 松山千春全作品(解説)に思うこと ~松山千春 全作品解説7~ インデックス 7(1992~1995)

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