「1986年8月8日(金) 松山千春 『10th memorial concert』 北海道厚生年金会館 その2」S2030-2
・アーティスト別 LIVE DATA BESE 総合TOP PAGE NF
◆更新履歴
V1.0:2013.12.25 初稿
V1.1:2018.01.09 是正
V1.2:2022.08.08 是正
◼️1986年8月8日(金) 松山千春 『10th memorial concert』 北海道厚生年金会館 その2
◇チケット半券・記念チケット
◇ミュージシャン
01. ギター(AG):丸山政幸
02. ギター(EG):角田順
03. ベース:渡辺茂
04. ドラムス: 見砂和照
05. キーボード(S):有坂秀一
06. キーボード(P):林政宏
07. サックス:後藤輝夫
◇夢野旅人 2014.1.7
その1からの続きです。
10周年。
初めての記念イヤー。
- 会場は松山千春が初めて有料コンサートを行った北海道厚生年金会館。
- 日時も同じ8月8日。
前年夏は、大倉山ジャンプ競技場で2万人を集めた千春。
前日から当日券を求める列が並んだらしい。
会場前の会場周辺は、全国各地からファンが集結。大げさではなく、そんな表現がぴったりでした。シリアル番号がうたれた封筒に入ったメモリアルチケットが配布された。
当時、広島には千春隊という私設応援団があった。開演間近。
千春隊の法被を着た男ふたりが立ち上がった。そのうちのひとりが、「本日、8月8日をもちまして松山千春はデビューライブから10周年を迎えます。 皆さん千春コールをよろしくお願いします」といった内容のことを叫んだのが印象的でした。
彼らに言われなくても、会場のボルテージは緊張と比例して爆発寸前。チケットの裏には、春のコンサートツアーのテーマである情熱を持って歌っていきたいと記されていました。イベントという興奮や期待感よりも、ただならぬ緊張感がありました。
オープニングは、1975年フォーク音楽祭、中島スポーツセンターで歌った「旅立ち」の音源。
もうそれで、自分は卒倒しそうになった。
血流が逆流しているような感覚でした。
一曲目は「季節の中で」。ラジオで集められたリクエスト結果のうち、上位10曲は歌うということだった。
2曲目は「時のいたずら」。まだ夏の時期に「時のいたずら」を歌っている。
4曲目の「君のために作った歌」から弾き語り。影響を受けた岡林信康や加川良の楽曲もほぼフルコーラスに近い形で歌っていたと記憶する。
3年ぶり、フルバンドでは1980年に入って初めての演奏。
完全休憩を含み、二部のオープニング、10曲目が「大空と大地の中で(V2006)」。現在の乱発ぶりとは違う。
だから当時は、この曲がライブで聴けて嬉しかった。
歌詞のサイズ、サビの演奏回数が少なくなっていた。
詳細は「松山千春『大空と大地の中で』のヴァージョンの違いとライブの演奏」へ。
続く11曲目、「人生の空から」。
1982年の真駒内以来、この曲は4年ぶり。
「夜明け」も、1980年に入って初演と、ライブで聴けてうれしかったです。
14曲目の「旅立ち」を歌い、本編ラストは「生きがい」でした。情熱をもってこれからも歌っていくということであるのだから、この曲で納得できるのだけど、当時の自分にはしっくり来なかった。
(今考えると不思議なのだが「生きがい」、あまり好きではなかった。秋のツアーや、1988年の猫魔でも歌われるのだけど、自分の中では特Aランクではなかった。
ライブにおける「生きがい」で、脳天を突き刺されたような感動を抱いたのは、もっと後。 1999年春のツアー、イレギュラーでの弾き語り。そして2003年秋のフルバンドでの「生きがい」でした。- 2003年の秋の「生きがい」は、たぶんライブアレンジと声質なんだと思う。 「生きがい」は、現在の千春の声のほうが、自分は好きです。)
- 「大いなる愛よ夢よ」は野外なんだ。
- と、「大空と大地の中で」と「大いなる愛よ夢よ」が、2曲揃ってフルコーラス歌われることはない。
それは、2000年の夏まで14年間続きました。
そう自分は感じた本編ラスト。
「生きがい」を歌い終えアンコールへ。
◆その3に続きます。
■N↓現在、以下の検索ランキングにエントリーしています。
よかったら、アクセスして頂けると嬉しいです。
一日一回、ライキングポイントが加算されます。
よろしくお願いいたします。
にほんブログ村
アーティスト・グループ(音楽) ブログランキングへ
---------------------
YUMENO BLOG ~愛のうた:愛した季節の薫り From the 1960s to 2020s Music Diary notebook~ 夢野旅人
前哨戦でもあった1986年8月2日。南こうせつのサマーピックの本編のラストもしくは大ラスは「大いなる愛よ夢よ」だったから、当然この曲だと思っていた。結局、この日「大いなる愛よ夢よ」は歌われなかった。
その夏思ったこと。