今日も美しい1日を。

 

こんにちは、Chifuminnです。

 

9月の投稿から間が空いてしまいました。

 

この3か月、私は

原因不明の体調不良(結局の診断は老化でした・・・苦笑)と、

姉一家の一大事と、

緩やかに老いが進み、

要介護4となった母とのかかわり合いの中で

季節は秋から冬へと移ろいゆきました。

 

私のブログにたびたび出てくる

姪っ子3姉妹の家族=姉夫婦の一番長い日のお話です。

 

11月末の佳き日、姪の長女(1号)が結婚式を挙げたのですが、

事件はその2週間前に遡ります。

 

外はまだ真っ暗な雨のそぼ降る早朝4:30、

姉からただならぬ気配の電話があり、

バイクで出勤途中の義兄が右折車にはねられ、

救急車で集中治療室に運び込まれたこと。

義兄の生死もまだわからない状態ということ。

姉はひとまず病院に駆けつけるので

3人の娘たちと母への連絡を頼むと言われたのです。

 

姪の次女(2号)は

6月から海外協力隊でのアフリカのガボンに

赴任していたのですが

ワクチン接種のために一時帰国していて

その日にガボンに向け再出発する日。

 

姪の三女(3号)はふたりの大切な記念日で

仕事帰りに婚姻届けを

提出しようとしていた日。

 

ただひたすら待つしかできない数時間を

過ごしたその後、命が助かったことがわかりました。

 

義兄は病院にいる姉に、

娘たちにはこちらに来ても痛くて話せないし、

どうしようもないので

それぞれがそれぞれの場所で任務を全うするようにと伝言しました。

 

その命を受けて

1号は加害者と冷静に話をして事情を聞き、

 

2号は後ろ髪惹かれつつガボンへ向かい、

 

3号は0時前に無事婚姻届けを提出することができました。

 

結局義兄はあちこち骨折したものの

驚異的な回復を遂げ、その2週間後、

1号の式ではよたよたしつつも

娘の手を取ってバージンロードを歩ききり

無事花婿へその手を引き渡すことができたのでした。

 

披露宴では2号からは

ガボン人と一緒に

フランス語で口々に「おめでとう~」と

あちこちでガボン人の子供たちに囲まれた

笑顔いっぱいのビデオレターが流れ

 

3号は

姉と私が散々着た振袖を着て参加し

お色直しの1号と退場するシーンがあり、

家族皆、

1号が生まれてからの30年あまりの年月とともに

この2週間の様々なことが脳裏を駆け巡り

感慨深いものがありました。

 

私も半世紀を生きた今、

時折自身の人生の終わりを考えることがあります。

 

事故である日突然

命の終わりを迎えるかもしれない。

 

病気で

命の終わりを宣告されるかもしれない。

 

認知症で

意思のコントロールが

できなくなるかもしれない。

 

明日の記憶は誰にもないから、

明日を必ず生きられる確約はありません。

だからこそ

今日の1日を精一杯生きないといけないのですね。

 

今日生きていられるそのことがしあわせ。

 

なんということもない1日を

よく生きることを目指して

小さな幸せを見つけて毎日を楽しく上機嫌に。

 

なんということもない1日の中で

人格的なしなやかさとか、優しさを身に付ける。

それを磨き続けてゆく。

 

そうした日々の積み重ねの中で

今日の自分が何ができるのかを

深く問われたと思う出来事でした。

 

姪1号が末永く幸せでありますように。