製品品質の安定条件は何か?ということを真剣に考えた期間がありま
す。業務上の必要に迫られた訳ですが、工程能力が十分か否かというこ
とが分かれば判断出来るということを学びました。
 今更?と言われるほどポピュラーなことなのですが、当時の私はそん
なレベルでした。ま、今でも似たようなものですが...。この頃学んだ
ことは個人的に人生最大の宝となりました。

 品質が安定しているか否かを工程能力の有無で判断するということで
すが、逆に狙いを定めて取り組むことで品質安定化が実現可能であると
いうことに気が付きました。これが前述の宝物ですが、ここから夢想が
始まることになります。存在物や存在している事柄などの“存在”とい
うものは何であろうと正規分布しているとズバッと定義したわけです。

 木彫りの仏像を想像してみます。どの様な形にするかイメージして木
材を一刀一刀彫っていくわけで、最終的にイメージしたものが目の前に
完成します。イメージが中心にあり、そこから徐々にイメージから離れ
ていきます。逆に見れば木彫りの過程そのものだと考えました。イメー
ジからかけ離れた状態からだんだんとイメージに近づいて行きます。
物事が成るということも同様です。語学を習得する時も勉強と実践の繰
り返しが語学習得のカギです。良く観察すれば皆そのようになっている
だろう、という考えです。

 さて、存在が正規分布とすると宇宙も正規分布であるということにな

ります。同様に人間も正規分布となります。
誰でも『私』という認識は確実にあるはずです。確実にあるということ
は既に『私』は完成しているということを意味します。正規分布が完成
しているということです。ということは時間が経つ(年齢を重ねる)に
従って『私』の姿(個性)が明瞭化してこなければなりません。ところ
が実際は明瞭化してきません。なぜか????

(※解説 正規分布は連続型確率分布で、構成要素は無限に存在します。
出現構成要素数が多くなるに従って分布の形が段々明瞭化してきます。)

 完成しているのに正規分布でない?これは前提の定義に反します。困
ったことになりましたがここは強気でいきます。いつもなら弱気になっ
て持論を早晩取り下げるのですが、今回は簡単には定義を取り下げませ
ん。さあ、どうなるでしょう。取り敢えず完成体を『私』から外してみ
ることにします。

 完成体を外すことにしました。完成体とは私の本質です。すると本質
が『私』を創造しているという姿が浮かび上がってきました。
人間は完成体の本質が『私』として経験しながら『私』を造っていると
いう構図になり、これなら説明がつきます。このことは宇宙についても
同様です。従ってこの考えによれば、宇宙の創造は現在も進行中という

ことになります。

 ゼロの定義を『満ち足りている状態』とすることで、ゼロによる除算
を可能にしました。するとゼロと、1から9の数字は次元が違うことにな
りました。ゼロは満ち足りているが故に静止状態であり、その他の数字
は動的であります。無限大というのは永遠に無限大であり、限りという
ものはありません。無限大の向こうに0がありますが、そこに到達するこ
とはありません、同じように極小の先に0がありますがそこに到達するこ
とはありません、そんな光景が見えてきました。動的世界であるこの世
界は1から9の世界とも言えます。従って我々が住むこの世界では、限り

なくゼロに近付くことが出来ますが、そこに到達することはありません。

ゼロに至れば静止することになるからです。

 確率では全部は数字の“1”です。この“1”が分かれて確率何%と
言います。“1”は100%、完全です。宇宙も全て足し合わせると“1”
になります。全部で完全です。宇宙は何時でも全部で完璧なのです。何
があっても常に完全、完璧です。因果応報とかカルマ(業)というもの
は人が活動することで生じます。中道なら修正の必要がありませんが、
偏っていると修正が生じます。平等に分かれている状態が宇宙の姿だか
らそうならざるを得ない、と考えれば理解できます。