完全なものが多様性を現わすためには流れが必要で、過程とか時間等
がそれにあたる。完全は満ち足りているが故に多様性は存在し得ない。
完全なものが多様性の形態を取るためには変化が必要である。
完全は静止しており、多様性は完全の中で動的である。存在とは完全
か、完全の中の多様性か、そのどちらか以外は無い。我々人は完全の
中の多様性の世界の存在である。

完全の中の多様性の世界は、無限という始まりも終わりもない世界に
なる。完全と完全の中の多様性の世界とは別ものだ。正規分布夢想や
ゼロ浪漫から導かれる発想だが、存在が正規分布の形態をとるとする
と、正規分布の集団要素は無限なのでこのような発想ができるという
わけである。
ビッグバンは極小の1点から始まったということになっているが、1点
付近から始まったに違いないとは思うが、厳密には始まりは無かった。

正規分布夢想では本体が自己を創造しているという構造を示した。『
完全』が本体で、『完全の中の多様性』は本体が創造している自己で
ある。完全と完全の中の多様性は『同じものだが同一ではない』。

完全の中の多様性であるので、この世界つまり完全の中の多様性の世
界は常に完全である。争いがあろうと何が起ころうと完全である。
一方私たち人には『ああなればいい、こうなればいい』という理想も
ある。今現在の完全と違う完全を創造することも出来るし、今までも
そうしてきたはずだ。
歴史は繰り返すというが、諸行無常という言葉を引用して平家物語で

は導入部で、平家の衰退を『盛者必衰』と詠んで、避けられないもの

と言っている。

だがこれについては次のような見方もできる。
この世界には方向性があり、その方向と大きくずれた場合に必然のこ
ととして軌道修正が起こる。その軌道修正が盛者必衰という形で表れ
ている。方向が逸れすぎた為に必然として生じた軌道修正を、逃れら
れない自然の摂理と我々は納得していたのだ。
奇しくも指導者が変わっても常に同じような結果を招いているという
事実は、性とでもいうべき何か人類共通の要因があるのだろうか。
人はいつの時代も理想を掲げて歩んできたが、結果として理想に到達
することなく同じ道を堂々巡りしている。

自然界の方向性とは何なんだろう?
中村天風師の言葉を引用させていただくと、『生成、発展』であり、
『真・善・美』である。