人間は大雑把に、3重構造をしているのではないかと
個人的には考えています。
先ず肉体。今、私がいる世界ではこの肉体で生活しま
す。
次に霊体。本来人の生命はこの体で生活するようにな
っています。
そして魂。これが生命の本質です。
霊体は魂の乗り物ですが、魂はこの乗り物に乗って生
活するようになっていて、魂自体で生活することはあ
りません。
肉体は霊体の乗り物です。人間の住むこの世界は霊界
の中にあり、人間の生活は丁度霊界での合宿生活のよ
うなものです。その期間は1000年という聖書の記録も
あれば、日本の昭和初期は50年位という時もあり、今
では100年位と言われるように一律ではありません。
人はこの期間に集中的に学び魂をより成長させます。
これがこの期間の存在する目的の一つです。霊界はよ
り自由さが際立っていて、魂の成長というより生活を
エンジョイするようになっています。
食欲、睡眠欲、性欲、などは肉体から来る衝動です。
従って肉体を脱ぎ捨てると、霊体からはそのような衝
動は生じません。生じるように思ってしまうのは己の
想念に深く刻まれてしまっているからではないでしょ
うか。新たな生命の誕生には、肉体生活がその大切な
役割を担っているのではないかと思います。
何のために生きているのか?と嘆息してしまう事があ
ります。この社会に生きていると、何かしていなけれ
ば何か成果を上げなければ落ち着かない気がします。
こんなことしていて何になるんだと思ってしまう時は
脱力感でいっぱいです。
でも取り立てて特別何もしなくてもよいということが
答えであるような気がします。ただ愛を表現するとい
うことが答えであるような気がしました。ここは愛で
紡ぐ世界だと思います。病気の人が居たり、介護の必
要な親御さんが居たりすると面倒をみることになりま
す。自分の時間を大分削らなければなりません。収入
になるわけでもありません。残るのは尽くしたという
実績だけです。しかしこの世界はそういう実績で紡が
れる世界なのではないかと最近では感じています。そ
の人の事を思って添い寝するだけでも良い。それが愛
で紡ぐということであり、世界を紡ぐことであります。
大金持ちでも決して幸せそうではありません。
お金持ちでも小金持ちでも太陽は等しく日差しを注ぎ
ます。自然は平等ですが現代社会は自然界とは別の決
まりで運営されています。そこに居ることに疲弊した
ら暫く自然に浸ると良いでしょう。
最近ここに書いたような疲弊した気分に傾きかけた時、
この世界は愛情で紡ぐ世界だと「ふっ」と感じたので
書き記しました。