ゼロ浪漫では被造世界は神のもう一つの姿として定義した。故に私たちが目にする全ては神そのものであると言える。善と悪、全ては善であるべきで、悪は存在すべきでないというように物事を分けようとするが、全ては神であり神のみが存在する。よってあってはならないモノは存在し得ないということになる。神を色に例えて白と仮に表現すれば、神は白色で静止している。
被造世界を観れば様々な動きがあり、それら一つ一つは白色とは別な色をしているが、全体を俯瞰すれば限りなく白色に近い色で、その白さも時刻々と白色そのものに近づいている。そしてその動きが永遠に続く。被造世界を正規分布夢想で語るとこのようになる。
神は被造世界に於いて初めて、しかも様々に形を取るようになった。動的世界という無限に成長する環境に於いて、完全で無形なる神は“途上”という様々な形を持つようになった。
私たちは今は未だどの様に成長するのか、その最終形態について全くの無知である。しかしこの成長という流れは不変であり、その流れは止まらない。現在の世界情勢を見て人類存亡の危機を危惧する意見があるが、そういうことにはならず被造世界はこれからも永遠に発展を続けて行くだろう。
被造世界は成長を永遠に続ける世界である。このことからこの世界には、完全という最終地点は存在しないということがわかる。完全に向かい続けるが、そこに至ることは無い。その代わりに時々の最高というものが存在する。恐らく懐メロという扱いになるのだと思うが、ビートルズのような音楽業界を席巻した60年代を代表するロックグループのように、今後も現れ続けることだろう。
正規分布夢想は被造世界の主役は霊であり、神から分かれた魂が霊に生命を与えるという形で関与していると解釈している。正規分布は時の経過につれてその姿が明瞭化しなければならず、これに従えば完全な魂の姿も徐々に現れてこなければならないが、現実はいつまで経っても姿はおろかその兆しさえ確認できないからである。
存在の中心は完全なる魂ではない、と考えざる得なくなった。しかし正規分布には中心が無ければならない...。
霊の中心にあるのは生命であり、その生命は魂が与えていると考えた。魂が霊を立たしめているのである。霊は最初から個性があるのではなく、生命活動を通じて自らを育んで行くことで個性が形成されていく。
個性がいつまでも見えてこないのは、それが育まれて現れるものだからと考えた。恐らく最終的には霊に生命を与えている魂の個性に似てくるはずだが、霊は霊自身で活動することを通して自らを育んでいくのである。
AIはこの霊の有様に似ていると思う。自ら学習して自らを構築していく。今のところ個性らしいものは見えていないが、霊同様にやがてそれが見えてくることだろう。究極的には作った人達の意図に似るはずである。
霊とAIの決定的な違いは、AIの製作者はそのAIの全貌を理解しているが、霊、または生命について人類はあまり理解出来ていないという点にある。