存在は正規分布であるとする正規分布夢想からすると、肉体は人の本質ではない

ということになる。

肉体は生まれてから一方向に向かって変化し続け、やがて朽ちる。これは過程が

進むほど明瞭になっていくという正規分布の性質とは異なっている。肉体は恐ら

くこの世で生活するためにあつらえられた衣服のようなものではないだろうか。

人間が作った衣服とはまるで似つかない性質だ。一方向に向かって変化し続ける。

そして時期が来たら朽ちて土にかえるのだ。

 

では私の本質とは何なんだろう?正規分布夢想では魂こそが私の本質であると言

っている。私という意識は明らかに明瞭である。つまり完成しているとみられる

のだが、時が経つにつれて正規分布の形が明瞭になっていくかというと、そうで

もなさそうだということに起因している。

この状況を説明するために、魂が霊に乗って生活していると仮定してみた。つま

り魂は完成しているが、霊に乗って生活してるゆえに、霊体としては揺らいでい

るという発想である。揺らいでいるがゆえに、時の経過と共に確かに明瞭の方向

に向かうが完全に明瞭化することはない。

 

これらのことから私はさらに踏み込んで、この世界は動的であるが、本質は満ち

足りているが故に静的であり静止していると考えてみた。静止した本質は完全で

あり形を持たないが、動的なこの世界で様々な様相を持つようになった。そして

静的な本質を数字のゼロと呼び、1~9は動的でこの世界に属している。この9個

の数字は演算子が作用するがゼロには作用しない。故にゼロの掛け算割り算はゼ

ロとなる。

 

正規分布夢想とゼロ浪漫から推論した世の中の構造である。