ドラマ「帽子」は平成20年
NHK広島開局80年を記念して制作され
昨日の8月8日、BSで再放送されました。
当時、このドラマを初めて観たときに「帽子アート」というポスターを作るので
視聴者から帽子を被った『写真』を募集していました。
当時もそうですが緒形拳さんのファンでしたし、
それに応募すると「緒形拳、田中裕子、玉山鉄二」さんで
それぞれの「帽子写真」がもらえるとういのも魅力でした。
さっそくその応募に参加しました。
その時応募した写真
3枚の写真で、ポスターを3種類頂けましたから
私の帽子写真も送りました。
このドラマの舞台は「広島県 呉」
そして、「広島」、「東京」です。
呉は、かつて軍港でした。
そこには、かつて山本五十六連合艦隊司令官の「軍帽」を作った帽子店があったのです。
今もその誇りを受け継ぎ「学生帽」を作ってきた「春平」(緒形拳)
最近は注文は減り続け、物忘れもひどくなった上、一人暮らしで、
困ると警報ボタンを押して、警備員の「吾郎」(玉山鉄二)を呼び出すのです。
『大事な洋ばさみを盗まれた!』といっては…
吾郎は迷惑千万な春平に愛想をつかしながら、探し物をするうちに
自分を捨てた『母=世津』(田中裕子)と、この春平が幼馴染だと知るのです。
その上、母の世津は今末期がんで、余命幾ばくもないのだということを「異父妹」が手紙で知らせて来ます。
春平は、子供のころから
世津の兄の様な存在で必ず守り抜くと心を伝え合っていました。
それは、世津が『胎内被爆という重い荷物』を抱える世津の頼りになる兄のような存在だった自分。
しかし、最後にどうしても仕事を優先させ、世津を守りきれなかったことへの後悔が付きまとっているのです。
世津に捨てられた吾郎は、母を憎んでいますし、「罵倒したい!」と思っていますから、母の死が近づいていても、金輪際会うつもりはないのです。
吾郎は春平に説得される形で、春平と共に東京に会いに行きます。
その道中、二人の会話が不思議な重みをもちます。
二人の世代を大きく分ける男は共に生きる意味について、もがき苦しんでここにいます。
若い吾郎は、自分に自信が持てません。
だから誇りを持てる仕事がしたいと思っているので、今の警備員にも身になっていません。
戦中・戦後を生き延びた「帽子職人」春平は、帽子に対するこだわりと技術は確かで「誇り」を持っていますが今、孤独です。
その春平に吾郎が聞きます。
「生きる意味」を
春平が答えます。
「何も考えなくなった。 今日あるのみだ。」と。
いよいよ東京駅に着きます。
二人は、それぞれの目的地にと、別れますが・・・
春平は踵を返して、吾郎に合流します。
場所は亀有付近の土手の近くの「クリーニング屋」を探して
偶然、先に春平が「世津」を見つけます。
世津と春平の穏やかな会話
世津:
「大きな音は今でも怖いのよぉう。ゾクッとするの。
胎内被爆の記憶があるんでしょうねぇ。
いつも、怖くてたまらんのよおぅ。」
そして、
大事にしている『木箱』を取り出して春平にみせる。
その箱の中には
「可愛い水兵帽」が入っている。
「わし、幸せにくらしておるのよ。
この帽子のおかげで。」
この帽子こそ春平との別れの40年前に渡された小さな「水兵帽」でした。
世津は静かな笑みをたたえて話しますが、
今までの苦労は何も語りません。
しかし、世津の「胎内被ばく」の体こと。
病気の不安や、世間の風評や差別にさらされてきたことは私たちにもわかります。
「わし、幸せにくらしておるのよ。
この帽子のおかげで。」という世津の言葉は重いのです。
昔、世津に春平が常に言っていた
「のほほ~んといきてろぅ。」
「兄ちゃんは、能天気やなぁ。」
なぜ、あの時、別れに来なかったのか。
お互いの思いが通じるのです。
ここで、春平が失いかけていた「誇り」を取り戻すのです。
吾郎も母、世津とその後すぐに会話をします。
一方、
春平には、荒川の土手の親子二人の遠景でしかわかりません。
吾郎にも「母」との会話で、自分の仕事に生きがいを感じるようになります。
全てを穏やかに肯定的にとらえる母の人間性に触れたからですね。
「学生帽』に『肩掛け鞄』懐かし昭和の私の中学生時代にありました。
でも、学生帽を被ってくるのは、「坊ちゃん系」の人で、
当時の大学生は、、学生運動の火が燃え盛っていましたから、
学生帽なんてアンチだったと思います。
しかし当時、早稲田大学の卒業式では、東京の『三越』で特注の博士の制服で帽子を被っていたそうです。
今日は、長崎に原爆が投下された日
祈ります、平和を。
