ドラマ「帽子」は平成20年

NHK広島開局80年を記念して制作され

昨日の8月8日、BSで再放送されました。

当時、このドラマ
を初めて観たときに「帽子アート」というポスターを作るので

視聴者から帽子を被った『写真』を募集していました。


当時もそうですが緒形拳さんのファンでしたし、

それに応募すると「緒形拳、田中裕子、玉山鉄二」さんで

それぞれの「帽子写真」がもらえるとういのも魅力でした。

さっそくその応募に参加しました。


その時応募した写真


200806201135.jpg ←こちらの赤ちゃんは只今小学2年生。


3枚の写真で、ポスターを3種類頂けましたから

私の帽子写真も送りました。




このドラマの舞台は「広島県 呉」

そして、「広島」、「東京」です。


呉は、かつて軍港でした。

そこには、かつて山本五十六連合艦隊司令官の「軍帽」を作った帽子店があったのです。

今もその誇りを受け継ぎ「学生帽」を作ってきた「春平」(緒形拳)


最近は注文は減り続け、物忘れもひどくなった上、一人暮らしで、

困ると警報ボタンを押して、警備員の「吾郎」(玉山鉄二)を呼び出すのです。

『大事な洋ばさみを盗まれた!』といっては…


吾郎は迷惑千万な春平に愛想をつかしながら、探し物をするうちに

自分を捨てた『母=世津』(田中裕子)と、この春平が幼馴染だと知るのです。

その上、母の世津は今末期がんで、余命幾ばくもないのだということを「異父妹」が手紙で知らせて来ます。


春平は、子供のころから

世津の兄の様な存在で必ず守り抜くと心を伝え合っていました。

それは、世津が『胎内被爆という重い荷物』を抱える世津の頼りになる兄のような存在だった自分。


しかし、最後にどうしても仕事を優先させ、世津を守りきれなかったことへの後悔が付きまとっているのです。


世津に捨てられた吾郎は、母を憎んでいますし、「罵倒したい!」と思っていますから、母の死が近づいていても、金輪際会うつもりはないのです。


吾郎は春平に説得される形で、春平と共に東京に会いに行きます。


その道中、二人の会話が不思議な重みをもちます。


二人の世代を大きく分ける男は共に生きる意味について、もがき苦しんでここにいます。


若い吾郎は、自分に自信が持てません。

だから誇りを持てる仕事がしたいと思っているので、今の警備員にも身になっていません。


戦中・戦後を生き延びた「帽子職人」春平は、帽子に対するこだわりと技術は確かで「誇り」を持っていますが今、孤独です。


その春平に吾郎が聞きます。

「生きる意味」を

春平が答えます。

「何も考えなくなった。 今日あるのみだ。」と。


いよいよ東京駅に着きます。

二人は、それぞれの目的地にと、別れますが・・・


春平は踵を返して、吾郎に合流します。


場所は亀有付近の土手の近くの「クリーニング屋」を探して


偶然、先に春平が「世津」を見つけます。

世津と春平の穏やかな会話


世津:

「大きな音は今でも怖いのよぉう。ゾクッとするの。

胎内被爆の記憶があるんでしょうねぇ。

いつも、怖くてたまらんのよおぅ。」

そして、

大事にしている『木箱』を取り出して春平にみせる。

その箱の中には

「可愛い水兵帽」が入っている。


「わし、幸せにくらしておるのよ。

この帽子のおかげで。」


この帽子こそ春平との別れの40年前に渡された小さな「水兵帽」でした。

世津は静かな笑みをたたえて話しますが、

今までの苦労は何も語りません。

しかし、世津の「胎内被ばく」の体こと。

病気の不安や、世間の風評や差別にさらされてきたことは私たちにもわかります。


「わし、幸せにくらしておるのよ。

この帽子のおかげで。」という世津の言葉は重いのです。



昔、世津に春平が常に言っていた

「のほほ~んといきてろぅ。」

「兄ちゃんは、能天気やなぁ。」


なぜ、あの時、別れに来なかったのか。

お互いの思いが通じるのです。

ここで、春平が失いかけていた「誇り」を取り戻すのです。


吾郎も母、世津とその後すぐに会話をします。

一方、

春平には、荒川の土手の親子二人の遠景でしかわかりません。

吾郎にも「母」との会話で、自分の仕事に生きがいを感じるようになります。

全てを穏やかに肯定的にとらえる母の人間性に触れたからですね。



「学生帽』に『肩掛け鞄』懐かし昭和の私の中学生時代にありました。

でも、学生帽を被ってくるのは、「坊ちゃん系」の人で、

当時の大学生は、、学生運動の火が燃え盛っていましたから、

学生帽なんてアンチだったと思います。

しかし当時、早稲田大学の卒業式では、東京の『三越』で特注の博士の制服で帽子を被っていたそうです。



今日は、長崎に原爆が投下された日


祈ります、平和を。